1999年12月28日和歌山東警察のやり方です。
もし 自分の子供であったら警察官は こんなやり方をしたのでしょうか?
 丸谷康政
和歌山市立城東中学校3年4組

3.義弟が呼びに来てお会いした人 3ページ

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ICUの中です。妻と娘と義母が康政に付き添っていました。枕元のヒューレットパッカード社の計器は、marutani yasumasa 心拍数120 血圧40を表示しています。



お父さん、康政助かるん。


あたりまえや。どないどする。


よかった。そやけど先生さっきから何もしてくれてへんで。


突然ICUのなかに2人の男が入ってきました。威圧的です。1人は大柄で皮のコートを着用、エプロンなどは着用していません。もう1人は警察官(安東)です。皮のコートを着た男は医師のほうに歩いていきました。                
   

     黒い皮のコートの男=和歌山東署 刑事課強行犯係 
                  岩本光志警察官
                    
     義理弟である木村稔はあるラグビーで 警察官の岩本と
     知り合った 約3〜4年前(H.9年〜H.10年) 警察官 岩本はラ     グビー部を辞めている
     そして 義理弟の友である 警察官 岩本と岩本光志は
     親子で警察官であった。


警察官岩本
まだ生きとんのか。


医師にその様に言ったのを覚えています。それで点滴を手に取って見て「ニタリ」と顔をほころばせました。ラベルには確か塩酸***とか書いていました。大塚製薬の品物です。そして私たちのほうに歩いてきました。まるで自分の庭のようです。


警察官
岩本
丸谷さんのお父さんはいますか。


私ですが、あなたは誰です。

警察官
岩本
警察のものです。


警察といえばICUの中に入れる権利があるのですか。

警察官
岩本
T先生に了解とっている。息子さんが生きているのか、死んでいるのか、確認しにきたんだ。それと息子さんの着ていた服、渡してくれないかね。


そんなこと君達はさきほどから調書まで作成していながら、なんでいま着衣を必要とするんですか。

警察官
岩本
まだ確認していないもんで。持っとるんやったら渡してもらおか。


もう市役所閉店やよって、見せてやってもよろしいですよ。
でもこれは私の所有物である。

警察官
岩本
そんなことお宅はええやんやで。息子の着てたものは警察が捜査するのに必要なものや。


捜査、なんの為に。お宅らさき程から自殺と決めつけてるやないか。まあいい、ここは他の患者もいることやから迷惑がかかる。おもてに出やんか。

警察官
池口
迷惑のもとはあなたやろ。


私は3名を日赤の西側にある公園まで連れ出しました。ふとふり返ると6名ついてきておりました。公園につくと6名の男達は咳払いをしておりました。


警察官
池口
いつまでも長びかしてたら、しょっぴくぞ。


君、警察手帳持ってきたんか。

警察官
池口
・・・・・・・

警察官
岩本
皆警察手帳は持っていません。


名刺の持っている人はいませんか。

警察官
岩本
私の名刺でよければ。


いただいておきます。


名刺には、和歌山県和歌山市東警察署 刑事課 強行犯係 岩本光志と書いています。



他の人の身分を証明できるものは。

警察官
岩本
私が他のものを代表しますので。私が他のものの責任をもちます。
着衣のほうをお貸しいただけませんか。本日中に書類等と証拠をあげなくてはならないのです。


もう一度尋ねますが、人の命を助けようとする心はありませんか。

警察官
岩本
早く着衣をみせてください。


この場所で確認をするのでしたらみせましょう。

警察官
岩本
わかりました。この場で着衣を確認します。


私はこの場で確認をということで、着衣をパーキングにとめてあった車のなかより取り出し、警察官岩本に渡しました。


警察官
岩本
お前たち、さっさと確認しろ。


警察官 岩本の中間達はスウェットの下1枚、Tシャツ1枚、トレーナ1枚、パンツ1枚、カーディガン1枚確認していき、カーディガンの襟を見たとき顔を見合わせていました。
私が警察官 岩本と話している間に他の5名は息子の着衣を持って歩き出しました。警察官 岩本が他の5名と私との距離を保ちながら他の5名がワゴン車に乗り込むのを見守っていました。



息子の衣類どうするんや。

警察官
岩本
ちょっと借りるだけや。


このように警察官 岩本達は独特の手段を使って息子の着衣を持ち去っていきました。残念ながら私一人の力ではここまで抵抗するのが限界でした。
その後息子は自らのデーターを刻みながら1999年12月29日午前5時15分HR120から急速にその動きを止めてしまいました。
日赤の担当医がかけつけて午前5時30分死亡となりました。


先生
ご臨終です。死因は前に説明しましたね。


 病院で息子がICUで治療中、そばに付いてい
 た私達が義弟M(木村 稔)に呼び 出され お会
 いした警察官(安東)との会話

警察官(安東)
   実は新たな事実が出てきました。息子さんが
   ビルから落ちる際、車に当たっているので車
   がへこみました。車の持ち主が 弁償してくれ
   と言うので一度車の持ち主とお話をしてくれま
   せんか。

私  お宅ら次から次へ色々言ってくるけどほんま
    に息子が当たったんか?

警察官(安東)
    はい。上から落ちた時の衝撃でできたと思わ
    れるへこみがあります。

私  お宅見たんか?

警察官(安東)
    見ました。写真も撮ってあります。

私  国産か?外車か?

警察官(安東)
    国産です。品川ナンバーの和歌山ではあり
    ません。

私  解った 国産やな、私は息子がへこましたも
    のであれば 新車でも買うさかい、今そっと
    しといて落ち着くまで待ってくれと 言っといて。

警察官(安東)  困ります。

私  困ってんのは 私の方です。とにかく今はそん
   なことに かまってられへん 息子のそばに居
   てやりたいんや・・・・・

義弟M(木村稔)  兄やん そんなこと言うても迷惑
            かけてるんやぞ

私  お前は要らんこと言うな 先方が一方的に言
    うてんのやろ こっちは何も言えやんのや
   康政が話せるようになってからでも遅ないや
   ないか

その後警察官(安東)は1999年12月28日の
夕刻に病院に来て私の妻にK(久保)呉服店
の電話番号を告げ連絡するように言いました。
この時 警察官(安東)は
   ”そしたら 自殺ということで”
                と言ったのです。

妻  まだ自殺って言わんといてください。誰も見
    てないし 声も聞いてないのに自殺って言
    わんといてください 可能性があると言われ
    るんやったら仕方ないけど まだそんなこと
    言わんといてください。
    ”ちょっと お宅の名前
          ここに書いといてください。”
そう言って妻は持っていた病院案内の紙に
警察官(安東)の名前を書いてもらった。
このことは 6月29日に読売放送のニュースで
放送されました。

警察官(安東)  それから 車の持ち主に連絡
            しといて下さい。

妻  私はお宅に言われた事 うのみにして全部
    弁償していかな あかんのですか?
    
警察官(安東)  まあ 連絡しといてください。

そう言って逃げるように 去って行きました。
息子 康政は”生きよう!”と頑張っています。
”死ぬものか!”と私達の心にしがみついて
   ”助けてよー!
        お父さん お母さん!”と・・・・・
それからは この男達とは顔も見ていません。

写真 トレーナ,パンツ写真 ズボン,靴

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