生命の手記
和歌山市 丸谷るみ
1999年もあと3日で終わろうとしている寒い夜中でした。究然何がどうなって、こんなことをされるのか納得のいかない混乱の中、病院のベッドで必死に生きようとしている息子をただ見ていることしかできなかった。
「康政、人間って不思議なものでね、生きようと思わなあかんよ。先生はどこでもいいから動いたら手術してくれるって。康政どこでもいいから動かして。お母さんに合図して!」と声をかけると、息子の目から涙があふれました。
手も足も動かない体で、唯一息子ができる「合図」だったのでしょう。母として何もしてやれないまま息子は息をひきとりました。
通夜、葬儀と、まるでベルトコンベアの上に乗せられたようにことが進められていった。
−−どうか止めて!
これが終わったら 私の息子は焼かれてしまう
お願い止めて!
どうして私の気持ち 分かってくれないの
だれか止めて どうか焼かないで
お願いだから 私から息子を奪わないで−−
胸の中で何度、この言葉を叫んだことか。科学も、医学も、文明もこんなに進歩している時代なのに、どうして人の心を置き去りにしたまま何の方法もとれず、私は息子を焼かなければならないのだろう。人権を踏みにじられ、命をむしり取られたわが子の死は、私には尊厳をもった「茶毘にふす」という言葉で表現できる気持ちにはとてもなれなかった。
お父さん助けて!お母さん怖いよ!と息子の声が聞こえる。そして私は悲しみで体が壊れていきます。
−−康政お母さんの声聞こえる?ごめんね 助けてやれなくて
おまえが流した最後の涙のメッセージ お母さん忘れません
おまえが遺した「生命のメッセージ」お母さん忘れません
つながれ命 心をこめて
城東中学校3年生 丸谷康政の母