生命の手記
埼玉県北埼玉郡 母
息子・友樹が9人の少年から集団リンチを受け殺されて、
早いもので、丸4年半が過ぎました。
警察の建物の外の、粗末な小屋の、粗末な台の上に
ビニールシートをかけられて横たわっていた、変わり果てた息子の姿。
柔らかく暖かかった肌が、蝋人形のように冷たく硬くなっていた・・・・
夢であって欲しいと願い続けたあの日からすでに4年半。
生きていれば、今年2月には20才の誕生日を迎えるはずでした。
事件後生活は一変しました。
生活そのものが悲しみであり、毎日が悲しみとの戦いであり、
悔しさと息子に対する申し訳なさで、
狂えるものなら狂ってしまえたらどんなに楽かと思ったり
息子の無念を晴らしてやりたいと、
加害者たちに対する復讐を考えたりもしました。
無抵抗な息子に対し、金属バットや角材、竹竿や自転車等の凶器を使い
二時間半に渡る暴行を集団で加えることは、
『殺人』以外の何ものでもないと私は思っています。
遺体で発見されたにもかかわらず、
死亡時刻も特定しない当時の警察・検察の捜査への不信感は未だに拭えません。
密室の審判ですべて決定され、不服申し立てもできない被害者遺族は、
真実を自分で探る以外ありません。
「息子はいつ どこで息を引き取ったのか?」
「何か最後言葉を残したのか?」
母親として息子を助けることが出起なかった愚かな母親として
せめて『真実』を知ってあげることが供養だと思い、もがき苦しんできました。
しかし、加害者からは誠意ある言葉も謝罪もありません。
未成年というだけで保護され、成長を重ねていく・・・
15才のままの友樹の姿しか分からない。
19才の友樹がどんな青年になっているのか
20才の友樹がどんな成人になっているのかが想像できなのが悔しい。
生きていた時は、居てくれてあたりまえだった。
でも殺されて会えなくなって余計に友樹の存在感の大きさに気付かされました。
悲しみ、寂しさは募る一方です。
心に大きな穴があいてしまった感じです。
尊い命、尊い命を理不尽に奪われた友樹が
「生命のメッセージ展」に参加させていただいております
オブジェに新しい命を吹き込んでいただき、
無言で命の尊さを訴えております。
『埼玉で育った友樹がオブジェになって全国を旅している』そう思いたい。
和歌山の皆さんに会えるのを楽しみにしていることと思います。