生命の手記
北海道北広島市 土場久美子
優しくて正義感の強かった俊彦は、『どうして?』と今も私に問いかけています。
どんなに気をつけていても避けられない犯罪から、未来ある子供を私達はどうやって守れば良いのでしょうか。
2001年8月18日、俊彦はふるさと祭りで披露するヨサコイの練習をした後、友達と誘い合わせてお祭りに出掛ける途中に事件に遭遇しました。
歩道に乗り上げ、歩道上の子供達に向かってハンドルを切って50メートルも暴走してきた車に命を奪われたのです。
「明日のヨサコイソーランは、ピラミッドの頂上に登るんだよ。明日は遊べないから、友達とお祭りを見に行って来る。いってきま−す。」
と得意げに出かけていく様子が今も私の瞼に張り付いている彼の最後の姿です。
同時に、私達家族の時間が止まってしまった夏休み最期の土曜日でした。
今も毎朝夢であって欲しいと願って瞼を開くと、俊彦のいない現実を突きつけられます。
なぜ俊彦がベッドに寝ていないの。
食事の用意をしても、なぜ俊彦の分だけ減らないの。
学校へ出かける長女の「行ってきます」の言葉の後に、なぜ俊彦の明るい声が聞こえないの。
お参りに来てくれる俊彦の同級生の中に、なぜ俊彦の笑顔だけ見えないの。
大きくなっていく同級生の子達を見ても、俊彦は9歳の儘、あの日の儘。
俊彦に触れたい、抱きしめたい、声を聞きたい、会いたい気持ちに揺さぶられます。
毎日どんな瞬間も、息をするごとに「俊彦はこの一息をすることさえ、もう出来ない」と感じるのです。
時が経てば癒されるなど全くありません。
1日経てば、1日俊彦に会えない日が重なって苦しみが膨らむのです。
どんなことをしていても「俊彦はもうこんなことできないんだ」と思うと、自分だけがここにいることにも罪悪感を覚えます。
親として子供を守ってやることが出来なかった罪を感じながら日々が重なっていくのです。
でも、もし俊彦の「どうして?」の問いかけや彼の意志を、私が代弁出来るとしたら、
”大好きな友達やみんなに同じ思いをさせないで欲しい”、
”悪いことをしたらすぐ謝らなくてはいけない”、
”そしてその事を正さなくてはいけない”という思いです。
託されたその思いを伝えることが、最愛の俊彦を奪われた私が生かされている意味かもしれません。
今は、メッセージ展を通じて多くの人の胸に、人の命の重さ、他者を思いやる心の大切さが、ひまわりのような俊彦の笑顔を通じて伝えられればと願っています。