生命の手記


     千葉県八街市 父

娘がこの世を去って3年という月日が流れました。
短いのだか長いのかもさっぱりわかりません。
ただ風のように1日1日が流れ「気付いたら3年」というのが本音です。
しかし最近、この「3年」の大きな違いに驚いたことがあります。

まずは娘の事件の概要を記します。
娘は晴れた日中に家の前にある行き止まりの私道にて轢死(れきし)いたしました。
そこは車通りもほとんどない場所で、子どもたちの遊び場となっております。
この日も兄や友達と遊んでおりました。

加害者は事故現場の目前に住む内装業者で、当然現場を熟知しております。
視界を故意に悪くした違法車両を操る加害者は娘だけを見落とし衝突、轢いてしまいました。
「日ごろ子どもが遊んでいるので、おもちゃをひいたと思った」と口にした加害者は娘を轢過した後も降車せず、さらにバックして二重轢過しました。
即死です。

道路状況からしても20キロ以上は絶対に出せない場所、車の恐ろしさに今もって身震いいたします。
このような生活道路上の事故は全国で起きており、被害者は子どもや老人という交通弱者がほとんどです。
しかしその加害者は「単なる前方不注意」「車の構造的死角による事故」または「被害者の飛び出し」として罪を重く取られないのが現実です。
(多くは罰金刑以下だそうで無実のこともあるのです)

私は何の罪の無い子どもや老人が本来安全であるべき住宅街の生活道路においてドライバーの不注意による一方的暴力で殺されてゆく現実に異を唱え、
「生活道路」を最重点に置いた民事訴訟を加害者に対し起こしております。

最初の「3年」の話に戻りますが、最近久しぶりに加害者と民事法廷で顔を合わせました。
「事件の真実を知りたい」と真剣に考え続けている私たちに比べて加害者は「昔の事だからよく覚えていない」と過去の嫌な事は忘れたいという姿勢ばかりでした。

謝罪はもちろん反省の影すら見えない加害者。
事件当日の事にこだわり、いまだに時間が止まってしまっている私たちの「3年」という月日とのギャップに単純に驚きました。

3年前という時間に取り残されてしまった娘は今は親族にも語られることもほとんどなく、本来なら私たち夫婦の胸の内のみで生きている存在であったことで しょう。
しかし、「生命のメッセージ展」という舞台へ出させてもらったおかげで、娘のことをお話し出来る方々と出会えたこと、
そして全国各地で娘の笑顔を見入ってくれる来場者の姿に感謝の念でいっぱいです。




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