生命の手記
愛知県 母
私の体内に「樹里」の芽生えのメッセージを感じたのは、平成10年の秋でした。熱っぽい体に胸のむかつき、妙な気持ち悪さ。まさかと思いながら試した妊娠検査薬に、はっきりと出た陽性マーク。主人と2人顔を見合わせ「ニタッ」と笑った情景をきのうのことのように覚えています。
もう5年の歳月が流れました。おなかに宿った小さな生命とともの毎日はマタニティブルーとは無縁の穏やかな日々。誕生が待ち遠しく、楽しみで仕方ありませんでした。情緒不安定だったこれまでの妊娠時とかけ離れた順風万般の時の流れだったのです。
生命の重さを感じながら大切に育み翌年6月26日、出産を迎えました。陣痛が始まり2時間ほど、あっと言う間にこの世に誕生した樹里は兄姉の中で一番小さいけれど、とても育てやすい元気な赤ちゃんでした。4人兄姉の末っ子としてたくましく、ひょうきんにスクスクと大きくなりました。
そんな幸せな生活の中、私は徐々に仕事への復帰を考えるようになり、意を決して2歳の樹里を保育園に入園させました。しかし、この保育園で事故は起きてしまったのです。
園舎屋上駐車場からの車転落事故。
あってはならない保育施設内での死亡事故でした。運動会を3日後に控え、「おとうちゃん、おかあちゃん、見て、見て〜、こうやって、こうやって〜、こうやるんだよ〜」と大きなお目々をパチクリさせ、先生に習った可愛い踊りを見せてくれていたのに・・・。
平成14年9月18日、樹里の命を奪ったその悪夢の日から私たち家族は一変しました。太陽を失った暗闇の世界へと突き落とされ、家の中から笑い声が消えました。自分の受けた悲しみを背負うだけの力もない私に、今いる子どもたちへ愛情を注ぐ気力も、夫を思いやる優しさも残されてはいませんでした。
家庭崩壊寸前。そんな中で家庭の危機を救い、私たちを絶望の淵からひろいあげ、生きる力をくれたのは紛れもなくエンジェルとなった樹里であったような気がします。
一周忌の前日、天国の樹里へお誕生日のプレゼントとして贈ったキティちゃんのからくり時計をギュッと胸に抱きかかえた瞬間、鳴るはずのない時を針が指し、メロディーを奏でました。
これは「樹里のいたずら?」そう思った瞬間、「樹里はいつも私たちのそばにいるんだ」と、心に深く刻んだのです。
以来「いつか逢える、いつか逢える、その日のために誇りある母でいよう。そして、この先の社会で二度とこんな悲しい事故が起こらないよう制度の確立へ向けて働きかけていこう」と念じるようになりました。
理不尽な事故により奪われた娘の死を未だ受け入れることはできません。でも、樹里の生きた証しを残したく、昨年春より生命のメッセージ展に参加させていただいております。樹里は、メッセンジャーの皆さんに手をひかれながら全国各地を巡っているものと信じています。今度逢えたら「樹里ちゃん、おりこうさんにしてた?」と抱きしめて聞いてみたい。
来場された皆様方も、このメッセージ展を通して生命の尊さ、儚さ、反対に命を奪うことの罪の深さをほんの心の片隅にでも置いていただければ、オブジェとなった生命も、遺された私たちも心救われます。いつの日か大切な家族に逢えることを夢見ながら、生命のメヅセージが展開されることを心より願っております。