生命の手記



     東京都荒川区 父

いつもテーブル越しから、眩しく私に微笑んで見つめてくれる娘と息子がいます。
テーブルを囲み座る3人、真ん中に座る娘は宿題に頭を抱え鉛筆をくわえ、
そして時折、視線をテレビへ向けてラルク・アン・シエルのハイドをうっとりと見つめています。

その傍らに座る息子は、普段見せたことがない真剣な眼差しでゲームに没頭し、
興奮し、なにやらブツブツと独り言を言っています。

このテーブルを挟んで、私達3人は喜怒哀楽と秘密を共有してきたのです。
こんな「何気ない毎日」を楽しんでいたのに、楽しんでいられたのに・・・。
そう、あの日からです。あの「何気ない毎日」から6年、このテーブルを前にして座るのは1人。


四角い小さなガラスケースに、無理やり押し込められた娘と息子。
2人からは、何も問われる事がなく、何も問われることがないように、お菓子やお花が何気なく置かれているのです。

あの日から、「何気ない毎日」を奪われ、テーブルは新聞やガラクタで埋め尽くされ、宿題もゲームもできない、雑然としたテーブルになってしまいました。
その雑然としたテーブルの姿は、私の心そのものなのです。

「人の生命は地球より重い」と唱えることは尊貴ですが、その尊貴な生命を簡単にあっさりと手にかける者がいる。

初めて二人がたずねる和歌山。いつものように、眩しい微笑が待っています。


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