生命の手記
青森県八戸市 母
私たちの大切な次男・尚己は、平成5年6月19日に産声を上げました。
人一倍頑張り屋で、何にでも一生懸命な子どもでした。
天真爛漫な尚己の笑顔は最高で、いつも笑っている尚己を見ていると家族全員、穏やかな気持ちになりました。
毎年夏休みになると海や山でのキャンプに行ったり、お祭り、花火大会など楽しみにしていた矢先のことです。
平成13年6月30日(土)、真新しいランドセルを背負い、兄と元気に「いってきまーす。」
と学校へ向かう途中、見通しの良い通学路の横断歩道を渡っていた尚己は、
尚己の通う学校の尚己と同じ2年生の担任の女性教諭に轢かれて亡くなりました。
学校へ通勤することを急いでいた女性教諭は、たくさんの生徒たちが登校していたのを確認したにもかかわらず、
猛スピードを出し、スピードを緩めないで漫然と運転し、ブレーキも全く踏みませんでした。
事故後、救急病院で祖母と「尚己はとっても頑張る子どもだったから、きっと今も頑張るよ。」
と話しましたが、それもかなわず5時間後に亡くなりました。
8歳の誕生日を迎えて、11日目でした。
亡くなってすぐに尚己を抱かせていただきましたが、すぐに硬くなり、
ずしっと重くなり、最後には私一人では支えきれず、父と兄の3人で抱いていました。
尚己がお棺に入るまでの間、ずっと隣で添い寝をしました。
初夏の暑い日が続いている中、ドライアイスに包まれた尚己は、ひんやりしていてほっぺやおでこが気持ちよかったことを覚えています。
そして、何度も何度も唇やほっぺにキスをし、ジュースも口移しであげました。
事故後、私たちの生活は一変しました。
それまでの私たち家族はいつも笑いの耐えない家庭でしたが、心から笑うことは出来なくなりました。
私は何も信じられなくなり、もう1人残った兄さえも守れなくなりました。
主人とも喧嘩が絶えず、崩壊寸前でした。
そんな時「生命のメッセージ展」に出会い、何とも言えない優しさにふれました。
2年半たった今でも、尚己のいない寂しさは消えることはありません。
ちょっとの飲酒、無謀な運転、ちょっとしたいじめ、それがどれだけ多くの人たちの人生を狂わせることになるか、
「生命のメッセージ展」でたくさんのみなさんに知って頂きたいと思います。
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