生命の手記



     大阪府八尾市 母

−桜のごとく−

今年も桜の咲き誇る季節が過ぎました。
去年の今ごろは新学期も始まり、顔を上気させながら帰ってきた愛息・雄真が「今年は5年1組になったよ。仲の良い友だちも何人か一緒になったよ」と、報告してくれたのがまるで昨日のことのように思われます。

新学年も落ち着きはじめた平成15年5月16日金曜日の午後4時過ぎ、学校のスクールゾーン内にある横断歩道を青信号で渡っていた雄真は、左折してきた4トントラックによる巻き込み事故により、永遠に帰らぬ子になってしまいました。
私たちがささやかながら築き上げてきた幸せな生活は一瞬にして奪い取られてしまったのです。

連絡を受けて病院にかけつけ、ほとんど即死状態だった雄真の姿をICUの病室で目の当たりにしたときは、わずか1時間前には全く考えられなかった無残な姿に「なんで?」「嘘やろ?」と、その場に泣き崩れてしまい立ち上がることが出来ませんでした。

10歳の若さで逝った雄真は本当に素晴らしい子供でした。
幼い頃からピアノ、スイミング。小学校に上がったころにはそろばん、英語など数多くの習いごとをこなし、そのどれにもたぐいまれな才能を発揮し、近じか受けるはずだったそろばん1級の試験を楽しみにしておりました。
とりわけ親ながら「感心だなぁ」と思ったのは、出来ないことにぶち当たったときでも、決してあきらめず私たちにいわれるまでもなく、納得いくまで努力し自ら克服していく力を幼いながらも秘めていたことです。

忘れられないエピソードに、市民スポーツ祭という市民の運動会に出たとき、まだマラソンに出場する年に達していない小学3年生だったにもかかわらず(出場は高学年から)、「出たい」といって出場し、見事高学年の子供たちよりも早く戻ってきたことです。
あの時のさわやかな笑顔は忘れることができません。

数多くの友だちに恵まれ、どの先生方からも愛され、けれども決しておごることなくいつも冗談ばかりいって人を笑わせることが大好きな雄真のキャラクターは周囲に光を与える太陽のような存在でした。

雄真が逝ったあと、雄真を知ってくださる皆様は「雄真君は10年という短い生涯やったけど、どの子ども以上に早く人生を翔(か)けていったなぁ」といわれました。
折りしも去年は森山直太郎の「桜」という歌が大ヒットし、私はこの歌を聴くたびに雄真のイメージと重なり何度も泣きました。

−いつか生まれ変わったら、この場所で会おう−

散ってからも人の心に深く名残を残す桜のように息子の命は散ってしまいました。
また、逢える時、それは私が雄真がいる向こう側に行った時ではありますが、その日がくるまで「生命のメッセージ展」で雄真とともに命の尊さを一人でも多くの方にお伝えできればと思います。



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