生命の手記
兵庫県神戸市 姉
2000年2月26日、私の弟、坂口悟(27)は車の運転を巡るトラブルで18歳の男に車で殺害されました。
悟が私達の傍から居なくなって4年が過ぎ 当時2歳9ヶ月だった悟の愛娘は今春、ランドセルを背負い小学校に通い始めました。
私たちには姿は見えなかったけど、きっとあの優しい眼差しで娘の入学式を見守っていたことと思います。
「娘を頼むぞ」と事件直後 瀕死の状態で親友に残し遺った悟を姉である私は誇りに思います。
私にも娘がいますが果たして私が、その状態になった時、同じ言葉を残せるか自信はありません。
悟は10代の頃 決して真面目とは言えない生活でした。
シンナーに手を染め、少年院に入った事もありました。
父、母、私で悟を街中探したこともありました。
悟がシンナーから足を洗うまで家は心安まる場所ではありませんでした。
しかし、20歳を迎えた頃から悟は変わりました。
真面目に仕事をし、妻子を持ち、週末には皆が実家に集まり、私と悟が子どものころ持てなかった一家団らんの楽しい時間がもて、本当に私は心から嬉しく思っていました。
それを、彼女へのメンツのための18歳の男の身勝手な行動により一瞬で奪われてしまいました。
霊安室で眠る悟と3人きりになった父、母は「自分達の息子だから・・・」と悟の傷ついた体を隅々まで見納めました。
霊安室で2人きりになった私は「お願いやから、目を開けて」と悟のまだ柔らかい肩を何度も何度も撫でました。
仮通夜の日、残された悟の妻は居間で眠っている悟と「一緒に居られるのは今日が最後だから・・・」とドライアイスを気にもせず、朝まで離れることなく眠りました。
通夜の日、ずっと眠り続けている父親に対し「パパ遊んでくれへんから嫌いや」と悟の娘が言いました。
葬儀の日、お骨になって出て来た悟を「パパ、パキパキや」と言い、でも子どもなりに事態を把握したのか、悟の娘は自分でお骨を拾うと言って、幼い手で長いお骨上げのハシを持ち一生懸命拾いあげました。
悟は家族みんなに愛され、悟は家族みんなを愛していました。悟は「俺、自分の家族好きやねん」って言える男でした。私たち家族の絆は今もしっかり存在しています。
どうか皆さん、家族との時間、絆を大切にして下さい。
もう、これ以上私たちのような悲しい涙を流す人を出さないで下さい。
どうか、私たちの大切な家族の命 私たちのこの辛い経験を無駄にしないで下さい。
どうか、全ての人の心に優しさが宿りますように・・・
そして最後に同じ涙を流した人全てに、たくさん幸せが帰って来ますように・・
大切な家族に いつかきっと逢えます様に・・・・切に願います。