生命の手記
島根県簸川郡 母
和歌山でのメッセージ展まであと、2ヶ月余り。
6月の青森から4ヶ月の空白があり、何かずっと先のような気がしていましたが、そうでもなくなってきました。
私にとって、メッセージ展は、娘・真理子の死と向かい合う辛いことではなく、生きる勇気を貰ってくるものに段々と変わってきました。
娘と大谷さんと大庭さんは鳥取大学3人娘。
飲酒運転の暴走車が反対車線からぶつかり、一度に3人の若い尊い命が犠牲になりました。1999年12月26日の事です。
4年6ヶ月経った今、思う事がなかなか文章になりません。
メッセージ展で3人は必ず揃って並びます。
農学部の大庭さんは将来、庭園設計などをやりたいと、頑張っていましたし、ピアノの専門家の大谷さんは、小学校の先生を目指していました。
真理子は英語専攻で、海外も10カ国行き、将来は旅行会社に勤める、あの子たちの夢は無惨にも破かれてしまいました。
あの電話が掛かってきた時刻から、私たちの時計は止まってしまいました。
季節の移り変わりも、感じない、何を見ても感じなくなった意識。
楽しいことをしたり、おいしいものを食べれば罪悪感さえ感じたものです。
でも今は仲間がいて大きな声で笑える。
生きる勇気をもらうメッセージ展は束の間の幸せをくれます。
旅人気分で現実の娘が亡くなったことすら忘れさせてくれます。
ずっと前からの知り合いだったようなお付き合いがあります。
会場毎に、娘の写真や小物を季節に合わせたり、場所に合わせたりするのが楽しみです。
熊本では浴衣のぞうりやバックを並べ、札幌では家族みんなで回った北海道の写真集を、秋田で冬用のものを置きました。
和歌山はどうしようかなと思っています。
私は20歳になった娘が、結婚してどんな子供を産み、育てるのかとそれがとっても楽しみでした。
努力家で、節約家で、辛抱強かった娘の子育てを見られないのが何としても悔しいです。
冬の鶯に娘を思い、夏のセミに娘を思います。
6月の闇の中、蛍が飛んでも、あ、真理子!と思ってしまいます。
お墓の蛙もいつも私を待ってくれてます。
鳥取では黄色い蝶が出迎えてくれました。
二十歳の娘がこの世で生き生きと青春を生きていた事、まだまだ生きたかったこと。
命を無駄にしないこと・・・。
メッセージ展で肌で感じ、自分の人生と重ね合わせ、もうこのような悲劇が起きない世界にしていくことが私のこれからの人生の宿題だと思います。
ー散る桜、残る桜も散る桜ー。
私ももうちょっとやることをやったら、娘と同じ所に行って会えるのを楽しみにしています。