生命の手記
長野県長野市 母
2001年12月1日、私達の息子・良太(当時18歳)と彼女(当時20歳)は、パトカーに追跡された飲酒運転の乗用車に120キロ以上のスピードで激突され爆発炎上しました。
良太の確認は私の爪と良太の歯型でしか確認ができない状態でした。
突然の事故って偶然が重なり合うものであの時、1分1秒でも時間がずれていたらと思います。
良太は3人兄弟で事故にあった翌年は良太が高校卒業、妹が中学卒業、弟が小学卒業と3人の卒業が重なるはずでした。
兄、妹、弟3人が小・中・高と重なるのは人生においてこの年だけです。
乗用車を運転していた加害者二人には、それぞれ刑が確定しましたが、私たちはパトカーの追跡にも問題があったと翌年4月17日長野県を相手に提訴しました。
裁判が進むにつれ供述調書と目撃証言が大きく違っていることがわかりました。
2003年11月21日、これから私たちが調べたものを提出していこうとしていた矢先、強引に結審させられました。
閉廷後、裁判官も被告の県も逃げるように帰って行くのです。
2004年2月20日「原告らの主張は理由がない」と私達の請求は棄却になりました。
そして不安と絶望の中で私達は控訴したのです。
良太と彼女が突然に命をうばわれ、それがなぜなのか。
真実を求めた裁判で何一つ解明されることはありませんでした。
法律は被害者を守ってくれない。加害者だけが守られ優遇されているのです。
亡くなった命は二度と戻ってこない。
だからこそ、その命を再び輝かせてあげたいと、良太をもう一度生んだ思いで「生命の大切さを訴えておいで!」とメッセンジャーとして送り出しました。
事故後いろいろな本を読み、警察の隠ぺい、ねつ造に苦しめられている人が多いことも知りました。
大切な良太の命と引きかえに同じ苦しみや体験をした人達との出会い。
良太に「ゴメンネ・・・」と言いながら、このたくさんの人たちとの出会いに感謝しています。
これからの私たちの残された人生は、理不尽な亡くなり方をした被害者に少しでも光があてられるように、生命の大切さを訴え続けていきたいと思っております。