生命の手記



     長野県 父


 長男・稔之の命が奪われたのは10年前。「最近、頭にきてしょうがねえからケンカでもしてえ。気に入らねえ奴はいないか」という高校生グループのうちの一人の言葉からでした。暴力行為によってストレスを発散しようという短絡的で自己中心的な行動が我が子の命を奪ったのです。
 94年6月29日、現場にいたのは8、9人と言われているが、7人の少年が4週間の鑑別所送りとなり、少年審判では主犯格が中等少年院に1年3カ月。中学までサッカー部に所属し、稔之の顔面に足で最後の一撃を放った少年が同少年院に3カ月。残りの5人は保護観察処分となった。
 加害者の親たちは死亡した30日の深夜に来宅。通夜の日も含めて3度の訪問があり、1人の母親が「初めての経験なので何をしていいか分かりません。何をしたらいいか言ってください。」と言い、黙ったままでした。「これが大人の社会人なのか」と愕然とし、「あなた方で考えることですから、話し合ってください」。それ以上何も言うことはありませんでした。
 年明けの95年、加害者側弁護士から▽事実関係は争わない▽和解の方向で考えたい▽賠償額計算式は3方法あり、どれを選択するか▽双方に過失があり、相殺額は3割―と打診があった。「喧嘩両成敗」という安易な言葉と解決方法。警察発表も「それぞれの暴力行為」。マスコミも「ケンカによる障害致死」と書いた。これが世間の相場だったのかも知れません。
 私たちは「これは一方的な暴力による殺人事件」であり、「加害少年の供述にはウソがある」という判断で民事裁判を起こしました。5年後の00年3月28日、長野地裁松本支部は、リンチを認め、過失相殺を退け、1億500万の賠償命令を言い渡しました。原告の毛利正道弁護士は「少年を尋問することで裁判所も一方的な犯罪だと確認できた。完全な原告勝訴だ」と評価しました。
 私たちの主張が認められたのは良かったが、改革すべき問題も明確になった。先進国・日本の社会で少年事件や薬物服用の事件では責任能力が問えないとして不起訴となるケースがある。罪が問えないということは殺された人間は存在しなかったと同じ。法の下の平等、人間の尊厳などどこにあるのでしょうか。
 治療費、裁判費用は被害者の負担。これを救済する法整備が求められる。国が一時負担し、自己責任として加害者に請求すべき。裁判も刑事、民事を切り離さず同じ法廷で判決を言い渡すべきです。
 被害を受けたのは警察や裁判所、国ではないのだから被害者に情報は開示すべき。死は受け入れられないのですが、真実が分かることで理解するしか方法はない。死の原因をあいまいにすることはできません。
 私は94年7月、稔之の気持ちを代弁して文にしました。
 人は死んだらおしまいだ。
 僕は17歳で死んだ。あっという間に殺されてしまった。僕はもうどこにもいない。
 僕が殺されたことについてまともな理由など何ひとつない。
 あるんならだれか教えてよ!
 「ケンカになったらどちらも悪い」なんて言うけど、いじめる奴らをかばっている。
 僕はもっと生きたかった!やりたいことがいっぱいあった!人間生きているときがすべてなんだ!
 現場となった学校の舎の壁にかけたり、作成した冊子や本にも書いてもらった。メッセージ展でもオブジェに張った。命の大切さと、理不尽な殺人、司法の改正などを訴え、メッセージ展に参加している。



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