生命の手記


     愛媛県 母


 突然の悲報を受けたのは、「じゃあ行ってくる」と、元気でいつもと変わらない笑顔の娘を見送った翌日の平成13年4月29日のことでした。時雨の肌寒いその日、前日からの小雨の中を娘を乗せた車は時速90キロまで加速してガードレールに激突。
 大学時代の先輩が、娘の車を運転して起きた惨事。「スポーツカーの性能を試したかった」という軽率で他愛もない理由の事故。投げ出され側溝に頭をぶつけた娘はどのくらいの間、冷たい雨に打たれていたのでしょう。
 以来3年間、娘の最期の瞬間が私の脳裏に何度も描き出され、無念さや悔やみ、無惨さに苦悶してきました。この嘆き苦しみは言葉で言い表せません。
 香織さん、母さんはきょう、お宮参りに行きました。かつて貴女が巫女さんを務めた思い出の宮です。小学3年生から4年間、村の代表で冠をつけ、かわいい踊りを奉納してくれました。無事な成長を祈った七五三もこのお宮でした。
 ―かつて子と 詣でし社に初夏の風 亡き子の声か 肩にふる葉は―
 長い石段を登り、鈴を鳴らし神様の前に立つと、あなたの愛らしい姿がよみがえり、目を閉じると幼いままのあなたがそこにいるかのような不思議な感覚です。腰をおろし、在りし日を忍びながら、あなたがそばに居てくれたらどんなに幸せかと、叶うはずのないことを思ってしまいました。
 小児喘息を患いながらも、立派に巫女役を果たし、一生懸命に踊ったあなたのことを神様は忘れてしまったのでしょうか。母さんは何度も神様に文句を言いました。「香織に罪がありましたか。私の宝物を返して、香織を返して」と。
 あなたのいない現実を受け入れられず、何一つとして心の整理がつかないままです。しかし、いつまでも過去にとどまることは許されないようです。生き残った者は一刻も早く事故を忘れたがっているようです。まるであなたが生きていたことすら消し去りたいといわんばかりに・・・。
 判決―借り受け車両で、同乗者があり路面が濡れ悪条件であったのだから通常より一層の安全運転を心がけるべきであった。急加速を試みたことはいかにも無謀で、過失責任は重大。前途ある被害者の将来を絶たれた無念さは察するに余りある。突然娘を失った両親の悲嘆は深く、処罰感情も峻烈である。実刑をもって処することも考えられるが、被告人は事故の責任を自覚し深い悔悟と反省の態度を示している。主文の刑を科した上その執行を猶予する―
 どのような判決が下されようが、子を奪われた母として、納得のいく裁きなどありません。命を奪われた娘の無念に報いる裁きなどあるはずがない。私は母として決して加害者を許さない。この世に摘み取られてよい命など一つもないのです。
 あなたのいない毎日はとても淋しく、大声で泣き叫びたくなる。辛うじて平静を取り戻しても、哀しみを拭い去ることはできない。ともすればあなたの傍らに行かんとする弱虫な母です。
 でも今、母さんは生かされています。皮肉にも貴女の命によって引き合わされた多くの方の支えによって。
 ―居るはずのなき 娘の気配感じおり 階段上がる雨の夕暮れ―
 香織さん、母さんもう少し生きてみるね。あなたが私の子供として生まれてきてくれたことへの感謝、あなたが生きていた証、あなたの足跡、それらを言葉という形でこの世へ残していくために。
 ―帰り来る頃と 時計を気にしつつ 逝きし子を待つ 3年経ても―



トップへ   生命の手記目次へ