アンリ・アルピニー(Henri-Joseph Harpignies、1819年6月28日 - 1916年8月28日)はフランスの風景画家である。ジャン=バティスト・カミーユ・コローと活動し「バルビゾン派」の画家の一人に数えられる。

ノール県ヴァランシエンヌで生まれた。はじめ商人として働き、画家を志したのは27歳になった1848年で、パリで風景画家のジャン・アシャール(Jean Achard: 1807?1884)の弟子になった。1850年から1852年の間はドイツ、オランダ、イタリアを旅して修行した。1852年に帰国しパリにスタジオを開き、1853年に故郷の風景や、イタリアの風景を描きパリのサロンにデビューした。1861年にアリエ川のほとりの林の風景を描いた作品が高い評価を受けた。コローと1860年に再びイタリアを旅するなど、ともに行動し、コローの作品から影響を受けた

            


 



 沈 徳潜(しん とくせん、1673年12月24日康熙12年11月17日) - 1769年10月6日)は、中国文人学者?士、号は帰愚諡号文愨蘇州府長洲県の出身。
 卓越した才を持ちながら官途に恵まれず、1739年乾隆4年)、67歳にしてようやく進士に挙げられた。乾隆帝は称して老名士となし、召して歴代の詩の源流昇降を論ぜしめ、大いにこれを賞賛した。礼部侍郎に抜擢されたが、寄る年波には勝てず、帰郷を願い出て許された。その後、銭陳群等とともに文学サロン香山九老会に関与し、大老と称せられた。乾隆帝は自作の「懐旧」詩に沈徳潜と銭陳群とを並び称して「東南二老」とした。数え年97まで長命し、卒するに及んで太子太師の称号を贈られた。
 その詩は格律にすこぶる厳密で「淳古淡白」と言われ、王士禎の「神韻説」・袁枚の「性霊説」とともに当時の詩壇の一角を形成。格律を重視するところからとりわけ性霊説とは鋭く対立した。
 著作に『五朝詩別裁集』『古詩源』『唐宋八家文読本』『帰愚詩文鈔』等がある。『五朝詩別裁集』のうち、唐朝の部に当たる『唐詩別裁集』は『唐詩三百首』の祖形となったことでも知られる。『帰愚詩文鈔』は自作の詩文集。