和歌山にも同様なお話があります
「朝日さす/夕日かがやく/その下に/黄金千枚/朱三石」
「岩橋千塚古墳群研究のあゆみ」
(公財) 和歌山県文化財センター 仲原 知之
〇南方熊楠、徳川氏に伝聞した黄金伝説を大野雲外につたえる。大野雲外、埋蔵金を掘り当てた話。
大野雲外
大野延太郎(おおの のぶたろう、1863年4月14日〈文久3年2月27日〉 - 1938年〈昭和13年〉3月22日)、
雅号・大野雲外(おおの うんがい)は、明治時代から昭和時代初期に活動した日本の画工・人類学者・考古学者。
東京帝国大学に所属して遺跡から出土した遺物の図版製作や、人類学・考古学に関する学術書籍・雑誌の挿絵製
作などをしつつ、調査・研究活動も行った。
画工として土器や石器などの写生に従事する内に学術研究に対する意欲にも目覚め、1902年(明治35年)に同人類
学教室の助手となった。日本人類学会の『人類学雑誌』上に土偶や石器、装身具等の型式分類に関する論文を発表した。
岩版(岩盤)についての本格的な分析・研究を学史上の最初期に行い、土版と岩版は土偶の退化形態であると位置づけた。
・「予幼時間及べる俚幼謡を考えて、海草郡和佐村に必ず古器隠蔵の塚有るべきを、ロンドンで旧藩主徳川(頼倫)候に
話申し上げるに(明治30年)、近年(明治40年)侯このことを大野雲外君に話、ついに同村古墳石棺曲玉等の大発見
に及しにて例証すべし」
・「和歌山市近き岩橋村に、古来大名が高価の釜壷を埋めたりと唄う童謡あり。(明治30年)熊楠ロンドンにありし日、これ
を考えてかの村に必ず上古の遺物を埋めるあるならんと思い、これを徳川頼倫侯に話せしことあり、侯、熊楠の言によりし
否かは知らず、数年前のことを大学蓮に話し、大野雲外氏趣きほりしに、貴重の上古遺品おびただしく発見せり、と雑誌
(東京人類学雑誌)で見たり。」
・「和歌山市近き岩橋村に、古来南龍公(治宝)が高価の茶碗を埋めたりという童謡存せり。予(熊楠)これは必ず上古の遺
物をうずめたるならんと考え、徳川頼倫侯に話せしことあり(明治30年)。近頃侯これを大野雲外氏に話し、同氏往いて発
掘し夥しく上古貴重の遺物を発見せり(明治40年)
・「爰に又該古墳に就き、古来面白き俚謡の伝はれるあり、その詩hは、「朝日さす夕日かがやくその下に黄金千枚朱三石と
是れなり、何の頃の事にか里人の中に小賢ぶるものあり、この古謡より妄りに想像して、墳は古代の国主を葬式れる其れ
なれば、墳中には必定黄金も朱も埋りあるべしとの流言を放つしより、或る白徒は之を盗み取んとて、竊に発掘を試みしも・・・」
最近になって、南方熊楠の話をもとに、岩橋丘陵にかつて「安藤家下邸」の門の存在を現地調査をしたが、実態は不明。
神社の鳥居のみ現存いていたましたと報告あり。(上村 緑氏 紀伊風土記の丘学芸員)