生きる 「わが子とともに歩いた道」

2015.8.4〜9 大阪堺市役所「生命のメッセージ展」開催
           加えて昨年の開催での賛同を得て今年は
           近くのイオンモールでの開催も追加されました。

2015.9.9(康政の誕生日に)
  「なみだ」
あかつきに 立ち昇る霧の神々しさ・・・・(誕生)・・・よろこびの涙
黒雲広がるいなびかり 降りやまぬ雨 あめ・・・(別れ)・・・失意のなみだ
静かに佇む木々におふる露・・・・(現在)天から降ったあなたのなみだ?私の身体からにじみでたなみだ?

  

 2014.12.29 14回目の命日 曇り 身体に染み込む冷たい風
白一色の花束、色とりどりの花束、赤いガーベラの花束、
花瓶に入りきれないほどの水仙の花々、重陽の節句に生まれた康政の為に届いたかのような
大輪の菊の花束とお供え 仏壇には多くの方々のお気持ちが今も届く 有難い事です。
父がいて 母がいて 悲しむ家族がいる子でした。 

2014.12.13〜14「いのちの言葉プロジェクト」のメンバーとして
              三重県の5大学で”いのちのキャンパス”開催され
              皇学館大学にて 講和させていただきました。            



2014.8.1〜8 大阪堺市役所「生命のメッセージ展」開催担当
            来場者の感想が沢山集まり 関心が高く心に届く
            開催となったのは ありがたかった。

2014.5.10 今日は 母の日 いつも肩たたき券や手紙 「お母さんに似合うやろ」
          とお父さんに言ってたそうな 青いポロシャツ
          最後は スリッパだった はかずにいたら「僕がはこうか?」と
          「もったいなくて はけないんだよ」と言うと笑顔・・・だったな・・・           

2012.12.29 
丸谷康政の13回目の命日を忘れず訪れる人たちに感謝する命日でした。
残念ながら命を守り、助ける職務を担う人たちに人間としての尊厳を踏みにじられた悲しみは
情動記憶として私の身体に残っていますが 丸谷康政が生きたかった思いは 死因究明制度や
殺人の時効が無くなったことに貢献できました。
 康政は 日本の社会秩序が守られ生命が守られることを願っています。

 

2012 6月15日(金)下記の報告がありました。
警察署長の許可があれば 遺族の了解無しで解剖されるそうです。
こんな法律が無くても 捜査はできるのですから 
亡き人の声を どこまで聞こうとしているのか 使う人のお人柄が問題になります。
どうか 本当の事を書類に残してほしいです。
分からないことは 分からないと書いてもらったほうが まだ 遺族は救われます。
「殺人」の時効も無くなったのですから 無理に署名捺印させて 終わらせる事は
しないでほしいです。
この法律は 亡き人の声です。
予算を取るだけの方法にだけは 使われず 未来にいのちを守れる方法として
使ってほしい・・・
この世に 生まれさせてもらった 私たちには この奇跡を感謝して生きなければならない
先日の金環日食のすばらしい自然の姿 私達は その自然の中のひとつなんだと思った。
 
丸谷様 こんにちは。

 いつもありがとうございます。

 本日、「死因究明2法案」が完全に可決されました!!

 これも丸谷さんはじめ、多くのご遺族が声を上げてくださったおかげです。

 そして、康政 君、ありがとう!!

 下記の参議院テレビで、本会議をクリックしてください。

 0018 前後を見てくだされば、そのシーンを視聴できます!!

http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php

 まずは取り急ぎ、ご報告まで。

  

遺族承諾なしで解剖も 警察庁研究会提言

2011年4月28日 夕刊

 犯罪による死亡を見逃さないため、新たな死因究明制度を検討する警察庁の有識者研究会は二十八日、現行の司法、行政解剖のほかに、事件性の有無が分からない遺体を解剖する制度をつくり、各都道府県に解剖専門機関を新設することを柱とする提言をまとめた。

 全遺体に対する薬毒物の簡易検査、コンピューター断層撮影(CT)による死後画像検査、身元不明遺体のDNA型や歯型のデータベース化なども盛り込んだ。

 警察庁は提言を受け、解剖医増員などに向け厚生労働、文部科学両省と協議。五年後をめどに法案を提出し、新制度をスタートさせる考え。

 昨年一年間に警察が扱った遺体は十七万一千二十五体。解剖されたのは一万九千八十三体(11・2%)にとどまった。事件性不明の遺体は多くが解剖されず、犯罪死見逃しの一因と指摘されていた。

 提言では、新たにつくる制度は「法医解剖」で、裁判所の令状や遺族の承諾を不要とし、警察署長が決定。大学の法医学教室や解剖専門の機関として各都道府県に「法医学研究所」を新設するとしている。解剖の前提となる検視の高度化にも言及。警察の検視官を増員し、窒息や中毒死なども検視対象とする。現行制度では医師が検視に立ち会っているが、開業医が本業のかたわらで従事するケースも多く、専門職の公務員育成を目指す。

 警察庁によると、一九九八〜二〇一〇年の犯罪死見逃しは四十三件。研究会は、〇七年の大相撲時津風部屋の力士暴行死事件などを契機に昨年一月に設置され、連続不審死事件が相次いだことも踏まえて議論してきた。

◆省庁の枠超え変革を

 <解説> 死因究明制度について検討する警察庁の有識者研究会が二十八日まとめた提言は解剖を実施する新たな専門機関「法医学研究所」を都道府県ごとに設置することを柱に据えた。

 同趣旨の提言はすでに二〇〇九年、日本法医学会が行っている。〇七年には当時、野党の民主党が解剖を実施する国の機関「法医科学研究所」の創設などを盛り込んだ法案を国会に提出。昨年は自民、公明両党も死因究明推進法案を国会に提出しており、死因究明制度の充実は、与野党や学会の一致した考えだ。

 にもかかわらず制度が変革しないのは、警察庁だけでなく厚生労働省や文部科学省など複数省庁にまたがる課題であることが一因になっている。

 今回の提言にある法医学研究所のモデルともいえるのが、すでにある東京都監察医務院だ。遺族の承諾なしに公費で解剖を実施する点などが同じだ。同医務院の年間運営費は約十一億円とされ、全国に広げた場合、人口比で単純に比較すると約百億円の予算が必要になる計算だ。

 東日本大震災で国の政策の見直しが求められる中、一定の予算を必要とする死因究明制度の充実を、政策の優先順位としてどう位置付けるのか。省庁の枠を超える政策判断をどう下すのか。ともに政府の役目であり、早急に方向性を示す必要がある。 

  (加藤寛太)

法医解剖:警察庁研究会が創設提言 犯罪死見逃し防止で

2011年4月28日 10時26分 更新:4月28日 14時25分

 死因究明制度の在り方を検討してきた警察庁の研究会は28日、新たな解剖制度として「法医解剖」を創設することなどを柱とする最終報告をまとめ、中野寛成国家公安委員長に提出した。現行の司法解剖や行政解剖とは別に、法医解剖を導入することにより、犯罪死の見逃しを防ぐ狙いがある。警察庁は厚生労働省や文部科学省と連携し、必要な法整備を図る方針。

 法医解剖の対象となるのは、犯罪による死亡かどうかが不明な死体で、警察署長が実施の要否を判断する。司法解剖に属さないため裁判官の許可状は必要としない。近親者が容疑者であるケースを視野に入れ、遺族の承諾も不要とした。

 警察が取り扱う死体のうち解剖が行われる割合(解剖率)は現在約11%だが、研究会は法医解剖の導入で解剖率を高めることを求めており、「5年程度で20%に引き上げ、将来的には50%を目指すことが望ましい」としている。

 また法医解剖の受け皿として、国の解剖機関「法医学研究所」を都道府県ごとに順次、設立することも掲げた。実現までの間は大学の法医学教室などを拠点にする。現在約170人にとどまる解剖医を計画的に増やしていくことも提言した。

 司法解剖は、犯罪性が明白か、その疑いのある死体が対象。犯罪性が認められず、死因が明らかでない場合は伝染病のまん延防止など公衆衛生を目的とする行政解剖の対象となる。しかし、監察医と呼ばれる専門医を置く一部地域を除き、行政解剖の実施は少ないのが実態だ。研究会は「犯罪死の見逃しが起こる可能性が否定できない」と指摘し、新たな解剖制度を検討していた。

 研究会には法医、刑法学者、警察庁局長らが委員として参加。昨年1月の設置以来、14回の会合を開いた。【鮎川耕史】

 【ことば】司法解剖と行政解剖 司法解剖は刑事訴訟法に基づき、犯罪死と断定されたり、犯罪死が疑われる死体に行う解剖。裁判所の鑑定処分許可状を得て捜査機関の嘱託を受けた医師が行う。行政解剖は、犯罪死を疑わせる状況はみられないが、外見から死因が特定できない死体について、検疫法や死体解剖保存法などに基づき行う解剖。原則的に遺族の承諾が必要で、大学の法医学教室などで行われる。ただし、死体解剖保存法に基づき監察医(東京23区や横浜市、名古屋市、大阪市などで導入)の下で行われる場合は遺族の同意は必要ない。

 ◇法医解剖、現行制度の「穴」埋める

 警察庁の研究会が、犯罪死の見逃しを防ぐ目的で、創設を提言した法医解剖制度は、現行の解剖制度が抱える「穴」を埋める解決策といえる。だが、解剖医の増員や解剖機関の新設を含め、提言の全容を実現するには相当な費用もかかる。長期的な指針と位置づけ、段階的に具体化していくことが必要となる。

 警察が取り扱う死体は、警察署の捜査員が一次的な分類をする。事件性が疑われるとみれば、死因捜査を専門とする検視官の出動を警察本部に要請。司法解剖を含めた犯罪捜査の道筋ができる。

 一方、事件性が認められない場合は通常、検視官は出動しない。ここに犯罪死見逃しの可能性が潜む。捜査員は必ずしも死体取り扱いの経験が豊富でなく、死体を検案する医師も多くは地元の開業医で、死因判断が専門ではないからだ。

 事件性はないと判断されたものの、外見から死因が特定できない死体に行われる行政解剖には、犯罪死の見逃しを最後の段階で食い止める機能が期待されている。しかし本来の目的が「公衆衛生」である上、原則的に遺族の承諾が必要であるため捜査側には活用しづらい面がある。犯罪捜査と行政解剖の間の溝が死因究明制度の弱点になっており、改善が研究会の課題だった。

 死因究明制度見直しの機運は、当初「事件性なし」と判断されて司法解剖が行われなかった大相撲時津風部屋の力士暴行死事件(07年)で高まった。警察庁によると、98年以降に発覚した犯罪死の見逃し事例は43件ある。それをゼロに近づけるためには、制度の改善だけでなく、研修を充実させるなどして死体と直面する一線の捜査員の能力を向上させることも求められる。【鮎川耕史】


2010.12.29 11回目の命日 感情を押し殺して 様々な仕事を終える事ができるようになった。
これが 他人が言う「時薬」と言うものだろう。しかし 努力や無理が伴うので 頑張ったら 落ち込む
それでも ここまで応援してくださった方々には 感謝しています。
康政の死に関わった人たちが 康政が 味わった痛み、恐怖、悲しみを そのまま 味わってほしいと
願う気持ちには 今も変わりない そして 康政本人に 謝ってもらいたい。母 

2010.11.27.28日 犯罪被害者週間全国大会2010(ハートバンド)参加 岡村勲先生の講演
               ワークショップのコサージュ作りの担当になった。
2010.10.12〜13 和歌山刑務所「生命のメッセージ展」準備、開催 遺族代表で開催
2010.10.16 「生命のメッセージ展INきしわだ」主催 岸和田青年会議所 私共が遺族代表で開催

2010.9.25 東京日野市 百草コミュニティーセンター(小学校廃校後)に「いのちのミュージアム開設

2010.9.5 今日のラジオの脳外科医師の話では 脳挫傷の場合 脳の損傷で首が
だらりとするので 脊髄にも悪いので 起こしたりする場合は 首を頭をなるべく動かさないように
しなければならないと言っていた 康政がICUから個室に移動する際 移動ベットに移すとき
医師,看護師たちは 「せ〜の」と掛け声をかけて移動した。その際 首にも頭にも手を添えなかったので
私は こんな知識もなかったが「脳挫傷と言われています もっとそ〜としてください」と言ったら
医師は「大丈夫です」と言った。頭は 腫れても居ない打撲傷や凹みもない 血も出ていないんだから
この医師も 脳挫傷なんてないと言うことか・・・・。          


2010.8.29 仏壇に不思議な 考えられない事が起こった。今日は 月命日

2010.8月盆 お盆の送り火 紀ノ川を帰りたくなさそうに 中々 流れに乗らないで 浮かんでいた。
胸に留まった言葉が出ない もう 何回も繰り返していることなのに 涙で重くなった言葉が
沈んで行く 心の奥底に 紀ノ川の川底に 

2009.12.28 10年前の今頃を思うと やっぱり 心も身体も異変が起こる。
風の匂い、景色、人の動き 静かな時間に・・・今頃「助けてほしい」と思いながら
生きようとした康政の思いが 胸を締め付ける。
主人とは まだ 今日は何も会話がない。
それぞれの思いがめぐり、思いをそらし また 思うという繰り返しの1日を送るだろう。
選んだ服も自然と「黒」なのは 色を身に付ける気持ちにもなれない自然の選択だろう。
重く暗く引き戻せない闇の中で 今日は10年前の26時間を繰り返し生きる。康政の母

2009.11.28 犯罪被害者週間全国大会が東京で開催された 私共も そこで 少しお話を
してきました。山上先生を始め 諸沢先生からも「3社からのコメントを出してるがしっていますか?」と
言っていただいたり、最高裁の方にも来て頂いたりと 積み重ねた皆さんの努力と好意で ここまで
くる事ができました。これからは 死因究明のシステムや時効の廃止に向けて 様々な取り組みが
始まるのでしょう。         母から 息子 丸谷 康政のために
 

 2009.11.28 東京 第13回犯罪被害者週間全国大会での講演

息子が殺されて10年余り どんなに月日が流れても 脳に焼きついた苦しみ悲しみは 情動キオクとなって 薄れることはございません。
息子の事件に 関わるPたちは ICUで「生きたい!」と最後の力を振り絞っている息子を 生きてる内に”自殺”で処理し 死後 検視も司法解剖もしませんでした。
この10年は 多くの心を痛めて下さる警察官たちも居ることをしりましたが 残念ながら捜査という現場は 人手不足、資金不足、能力不足と理由を付けて CTや MRIを造ってる 先進国”日本”であるにも関わらず 死因究明して 真実を追究するシステムも 姿勢も 未熟なもので多くの犯罪が 見逃されてる事を知ると”時効”という 逃げ道まで必要なのでしょうか?皆様もご存知かと思いますが柳原三佳さんの「焼かれる前に語れ」を一度読んでみて下さい。

息子を始め 事件,事故に関わらず 多くの被害者家族は 手しおにかけて 生み育てた「生命」と 引き換えなければならなかったものって 一体 何だったのか「ウソ」や「誤魔化しのない事実」を探し求めて 必死で生きています。
捜査に関わる方々は 「傷つくから 言わないほうが良い」というような やさしさを履き違えた 物の考え方は 絶対しないでください。私達にとって いずれ分かる事実は 第2 第3の被害となっています。
先日 日本で27年ぶりに 諸外国の人たちが集まり 第13回国際犯罪被害者学会が開かれ 「被害者は支援を受け 自身の資質を向上させ やがて社会に 貢献させていく事が望ましい」と聞きました。それを聞いて 私は 死者も又 死因究明を 人間の最後の医療と位置付け「医学的、科学的、社会的」に分析され 解明され その情報は 国民全てが共有され安全な社会に生かされるように 「死者の命を 未来につなげて行ってほしいものだ」と 思いました。

息子の事件は解明されていませんが
ここまで 来れたエネルギーは 息子「丸谷 康政」の悔しさ、悲しみと常識を 見失うことなく 生きて来られた 皆様の努力 そのものです。

ありがとうございました。心より感謝申し上げます。丸谷康政の母

続いて 丸谷康政の父が 話をしました。


2009.8.23.24 茨城の常盤大学開催された 第13回国際被害者学シンポジュウムに夜行バスに乗って
参加してきました。
3年ごとに開催され 日本では27年ぶりの開催になるそうだ。
今年のテーマは「被害者学と 人間の安全」だった。
 来賓者の中には タイの王国王女殿下が人身売買の問題を講演し
「あすの会」の岡村代表は
「被害者が前面に立って 法改正などの改定など尽力したが この様なことは日本だけにしてほしい」
国連難民高等弁務官事務所駐日代表は「難民は支援ではなく 人間としての尊厳を尊重されることを望んでいる」
 また この他にも「被害者をフォローし 成長させ 社会に反映する」
「被害者とはすでに被害に遭った人だが 被害に遭う前に安全に」とテーマに添った講演もあった。
 同時に 市民フォーラムがあり 刑事裁判への被害者参加制度が2008.12月できたが 事故事件のそれぞれの
制定前後の違いを経験した被害者がゲストでディスカッションされた。

2009.3.19
柳原三佳さんが 私の意見も伝えてくださった 康政のいのちが生かされるのだろうか・・・

「異状死死因究明制度の確立を目指す議員連盟」第3回勉強

 先週末、3月19日(木)は、自民党・公明党の議員で結成された、「異状死死因究明制度の確立を目指す議員連盟」第3回勉強会で、千葉大学大学院法医学教室の岩瀬博太郎教授とともに、講演してきました。
 衆議院第二議員会館の会議室には、議連に属する議員さんたちのほか、内閣官房参事官、警察庁刑事局捜査一課課長、法務省刑事局刑事課局付、厚生労働省医政局医事課課長、文部科学省高等教育局医学教育課課長といった行政関係者、新聞社、テレビ局などマスコミ関係者が集まり、私たちの話に、真剣に耳を傾けてくださいました。
20090319死因究明議連
(一番奥にいるのが、岩瀬教授と私です)

 まず、冨岡勉議員による開会の挨拶、そのあと、保岡興治議員による挨拶と続き、まずは岩瀬教授が、「死因究明の原則」と題した講演をされました。岩瀬教授は、現役の司法解剖医として、解剖の必要性を説明しつつ、現場の窮状(人と予算の不足、システムの未熟さ)などを、具体的に訴えられました。
 続いて、私・柳原三佳は「誤認検視が生む二次被害の現実」という演題で、これまで取材させていただいたケースとご遺族の声を紹介。また、海外の死因究明制度について報告しました。
柳原スピーチ1縮小

 限られた時間ではありましたが、講演終了後には行政サイドの意見を聴くこともでき、国会議員の方々も、「実例を聞き、改めて大きな問題であることを痛感した。速やかに制度改革に向けて取り組んでいきたい」といったコメントをくださいました。

 すでにお伝えした通り、2月27日には、民主党の法務部会で、元新潟大学の出羽厚二先生(時太山を解剖された先生)と一緒に講演させていただきました。
P1050548.jpg
(民主党の法務部会で/出羽先生と私)

 ここへきて与野党がともに死因究明問題への取り組みに力を注いでいることに、とても希望がわいてきます。
 これ以上、苦しむ遺族が生まれないために、そして犯罪の見逃しが起こらないためにも、是非党を超えて力を合わせて頑張っていただきたいと思っています。  
 

(2009年) 平成21年3月8日和歌山ラジオニュース

携帯エコーで検視、和歌山県警などに先行配備

犯罪の疑いがある遺体を調べる検視(けんし)の正確性を高めるため、早ければ今月から、携帯型のエコー=超音波検査装置が和歌山県警など5つの県警に配備され、活用されることになりました。
これは、検視官不足で、犯罪を見落とす恐れがあるという指摘を背景に、警察庁が決めたものです。
犯罪の疑いがある遺体が見つかった場合、検視官は現場で、遺体の全体を外部から観察したり、触ったりして調べますが、体内の異常を確認することは難しいといわれています。
このため、医師により、死因究明のための解剖が行われますが、解剖されるのは1割以下にとどまっています。
そこで、携帯型エコーを現場で補助的に使い、検視精度の向上を目指すことになったものです。
当面は医師の立ち会いや指導のもとで使用し、将来的には、検視官も画像を見極められるようにしたい考えです。
携帯型エコーがまず配備されるのは、過去数年間に、検視官が現場に出向いた割合が高かった和歌山県警や徳島県警など全国5つの県警で、効果をみた上で、ほかの都道府県の警察にも配備するかどうかを検討します。
警察庁によりますと、大分県警が2008年秋に、県の予算で携帯型エコーを1台を導入しましたが、国費での配備は、今回が初めてです。
ところで、警察が扱う遺体は年々増加傾向にあり、2008年は全国で16万体を超えました。
警察庁は、検視官の増員などを2009年度予算に盛り込んでいるほか、2007年度から毎年、遺体をCT=コンピュータ断層診断で検査する費用を補助するなど、死因究明体制の強化に取り組んでいます。

柳原三佳さんが 遺族の話として 丸谷康政の事を話してくれた。
平成21年(2009.2.27 産経新聞)
時津風部屋力士解剖医「現システムでは犯罪の見逃しがまた起きる」

 民主党は27日、法務部門会議を開き、時津風部屋の力士暴行死事件で解剖を行い、事件性を指摘した新潟大学大学院の出羽厚二元准教授らを招いて聞き取りを行った。

 出羽氏は「犯罪性のある死体だけを解剖する現在のシステムには限界がある。変死体すべてを解剖しないと、犯罪の見逃しがおきてしまう」などと早期の制度確立の必要性を訴えた。

 警察庁などによると、昨年の国内変死体解剖率は9・7%で、米国の解剖率(50%)などと比べ、低い数字にとどまっている。

 また、解剖医の数が200人足らずと少なく、変死体の約9割は外表検査のみで死因診断されている。このため、犯罪の見落としが懸念されていた。

 民主党は平成19年6月、変死体の死因究明責任を警察庁に新設する「死因究明局」に一本化することなどを柱とした「非自然死体の死因の究明の適正な実施に関する法案」と、解剖や専門医の育成を担い内閣府が各地に置く「法医科学研究所」の設置法案を衆院に提出。現在も審議が継続されている。

 一方、自民、公明両党も今月、新たな死因究明制度確立を目指す国会議員連盟を発足させている。

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平成21年(2月27日 NHK)
解剖担当者 制度改善を訴える

「死因究明制度」をめぐって民主党は法務部会を開き、おととし死亡した大相撲の力士の遺体の解剖を担当した元准教授が「犯罪の可能性が高い遺体だけを解剖するのでは不十分だ」として、制度の改善の必要性を訴えました。

「死因究明制度」をめぐっては、暴行を受けて死亡した大相撲の時津風部屋の力士が当初は病死と判断されるなど、事件や事故の見落としが相次ぎ、態勢の充実が必要だという指摘が出ています。27日に開かれた民主党の法務部会には、死亡した力士の遺体の解剖を担当した元新潟大学大学院の准教授が出席し、「力士の体には多くの傷があったのに、当時司法解剖が行われなかったのは問題だった」と述べ、警察の初動捜査の問題点を指摘しました。そのうえで、この元准教授は「現在の『死因究明制度』では、体の表面などを見て犯罪の可能性が高い遺体だけを解剖することが多く、事件や事故が見落とされるケースがある」と述べ、制度の改善の必要性を訴えました。民主党は、現在の制度を改善し、死因の調査を警察に一元化するための法案を、おととし国会に提出していますが継続審議となっており、今後与党側に法案の審議を進めるよう働きかけることにしています。

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死因がわからないのに、犯罪性がないと断定するのは、どう考えてもおかしい。同じように、死因が分からない段階で、医療事故なのか、交通事故死なのか、労災で死んだのか、流行病で死んだのかなどもわかるわけがない。
死因がわからないケースがあれば、まずは死因を適切に診断した後で、犯罪性や事故かどうかなどの判断がされて当然であろう。そのような制度を作る必要がある。

そのためには、現在行われている警察官などによる検視そのものも変えていくことが必要だ。現在検視官と呼ばれる方々は捜査一課の下で動く方々をさす。彼らは、捜査一課ゆえ、犯罪死のみをピックアップすることを役割と考えがちだし、それ自体を仕事のプライドにしている面もある。しかし、そのプライドこそが、国民の安全にとっては障害になっている場面もある。これは犯罪性がないからということで、交通捜査側での検視に回されたりするきともあるのだが、我々法医学サイドから見ると、まずは医学的検査をしてから、捜査一課が担当するのか、交通捜査が関与するのかを決めれば合理的なのに、現実には非合理なおかしな区分けがされている。同じことが、海上保安庁や検察官の嘱託で実施される司法解剖にもいえる。さらには、海上保安庁や検察官扱いの事例では、科捜研での毒物検査なども使えなくなるので、あまりに扱いがひどくなり、話にならないほどだ。


今朝は報道番組で孤独死の特集をやっていた。今後15年で孤独死はさらに倍になるようだ。変死事例もますます増えていきそうだ。法医学的検査を行う人や設備が整備されなければ、こうした事例の中に紛れ込む犯罪もざるのように見逃していくことは自明であろう。
 



H20,12,29.母 
命日が、何度きてもこの日が恐い 子供が哀れで 涙がとまらない
今朝のラジオで「人を殺す人は この世に必要でない人
自らの足元を崩していく」と どこかの宗教が言っていた。
「警察の責務」を警察法は、第1章総則の第2条において
「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、
鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に
当ることをもつてその責務とする」 

H20.12.5〜7「生命のメッセージ展IN大阪ABC」でエグザイルの眞木大輔さんが
来場されました。
毛糸の帽子にジーンズとよく見る若者と変わらないけれど背筋の伸びた姿勢と
彫りの深い顔立ちで とてもステキな方でした。
他の来場者には 気が付かないように
一人ひとりのメッセンジャーに対峙してくれていました。
また 丸谷康政の生命のメッセージも全部読んでくださり
康政を挟んで3人で写真も撮って頂きました。
開催中の7日には 橋下知事も 来場されました。  

H20.11.26毎日放送 みのもんたさんの”朝ズバ”・・・「8時またぎ」で
康政の事が放送された。
解剖医から見たアンケートでは 医師不足、犯罪が見逃されていると
答えた解剖医が約80%あった。テレビ画面に映った康政の青く腫れあがった
左目の写真は 康政が蘇って自分で訴えたように思えた。
多くの人が見たと言って応援してくれ ありがたい事です。

H20.11.18「生命のメッセージ展」IN京都産業大学にて講演
柳原三佳さんと私共のトーク形式で行なわれました。
柳原さんから・・・
●「週刊現代」〜変死体事件簿@http://mv.nif.co.jp/yanagiharapdf/01b.pdf
息子さんの突然の死……・検視もされないまま、たくさんの謎を残して「自殺」と
断定されたご遺族の無念を、切々と語ってくださいました。
 真剣な表情で話しに聞き入っていた学生さんたちの真摯な態度が印象的でした。

H20.8.27〜28 TBS放送 「イブニングファイブ」で、「死因不明ニッポン」として
現代の死因の実態を特集されて 息子 丸谷康政を始めとして 解剖率や医師不足や
医師でない警察官が「感と経験」で 死因を判断されている事など 大きな問題提起を
した放送となった。
この放送の 反響も大きく 衆院法務委員会の超党派議員団が
死因究明制度の制度改革を求める提言を 28日法務相に提出された。
《制度の役割》
 「犯罪見逃しを防ぐだけでなく、国民の健康と安全の確保、事故の再発防止
  などまで巾広い」

H20.5.26(月)発売「週間現代」に 掲載される。
「焼かれる前に 語れ」を書かれた 柳原三佳さんが 何度も丁寧な取材を重ねて下さって
書いてくれました。警察本部にも 説明を聞きに行ってくれ 「丸谷さんのケースは レアケースです」を
連発されていたそうです。検視もせず、遺体の検証も撮影もせず、鑑識を出したと言うが
車に当たってると警察が言ってるのに 車のどこに当たっているか調べていない。
「和歌山県警では いつも検視せずに判断されているのですか?」との質問に
「批判ですか!丸谷さんのケースはレアケースです」と「今回の場合は、医師が医師法21条
に基ずく「異常死届」を出されなかったのでうちは丸谷さんが亡くなった事をしらなかった」と医師の責任
転稼した。


H20(2008)3月27日(木) ABC放送”ムーブ”(テレビ)で丸谷康政の事が放送された。
藤井誠二さんが ディレくターと取材にきてくれた。
宮崎さん、大谷昭宏さんもコメンテーターで 写真なども見たが 明らかに殴られている
犯罪性があるかないか警察が判断した。検視官を呼んでいない
元警部補の犀川さんの言葉ですが、警察は犯人がわからない場合は自殺にする。
未解決事件を抱え込みたくない
解剖の仕組みやオーストリアは100%解剖する。
など藤井さんの説明がありました。
関根さん(女の司会者)はご遺族の納得がいかないと。
大谷さんは死人に口無しでなく、死体に口ありと最後に述べてくれました。
ABC放送 ムーブより
99年12月、当時15歳の少年が自宅近くのビルから転落死した。当初から、警察は自殺と断定し、司法解剖は行われなかった。しかし、両親は思い当たる動機も無く納得がいかない。多くのケースで解剖をせずに死因を判断してしまう今の制度。この現状に疑問を持つ遺族を取材した。
H20.(2008)2月4日 読売新聞 全国版 社説の所に 丸谷康政の事が掲載された。
日本では 医学の知識の無い警察官が検視し事件性が無いと判断しやすく 
誰もが心臓が止まった状態の「心不全」という「病死」と書かれ
殆ど解剖されることなく 
それによって 事件がかくれているか
など「焼かれる前に語れ」(書籍)を元に 司法解剖の重要性や現在の解剖による不備が書かれた。
2006.12.29 康政の命日
康政を殺された工程、そして 身を引き裂くような子供を亡くした悲しみ、苦しみは
生きる限り続くのだろう
息子の死に関わった者達への憎しみも また 消える事はない。
母と子は 一心同体となり この世の修復を願う。康政の母
 ライブドアPJニュースに掲載されました。2006.8.31

野球少年丸谷君の「飛び降り自殺」は、警察捜査の怠慢か

野球少年丸谷君の「飛び降り自殺」は、警察捜査の怠慢か
写真は、ありし日の丸谷康政くん。(写真は、丸谷くんのご両親からの提供)
【PJニュース 08月31日】− 昨今、事件における警察の初動ミスや警察捜査の怠慢が問題視されている。今から約7年前の1999年12月28日、和歌山市内の中学に通う15歳の野球少年、丸谷康政君は、自宅近くのビルから転落し、病院に運ばれた後、死亡した。管轄の警察は、丸谷君の死を「ビルからの飛び降り自殺」と断定した。しかし、丸谷君のご両親は、息子は「自殺なんかじゃない」と、事件から7年経過した今も、訴え続けている。

 丸谷君の死を巡って、警察の初動ミスや面倒だから捜査をしたくないという警察の怠慢などはなかったのだろうか。記者は昨年8月、丸谷君のご両親に、息子さんが死亡した直後の思い、息子さんが死亡された後に遺族として起こした行動などについて取材した。今回は、丸谷君が死亡した直後の警察の初動捜査の実態について、ご両親に当時の状況を聞いてみた。

 −事件当日、誰から息子さんの死を「自殺」だと聞かされたのですか。
 「息子が救急車で病院に運ばれ、ICUで医師が治療にあたってくださっているときに、警察手帳を持たない6人の警察官たちから、『自殺』を認める書類に署名捺印を要求されました」

 −そのときは、息子さん、医師にICUで治療してもらっているときですよね。
 「そうです。まだ、息子は生きているときに、『自殺』としての調書をとられたのです」

 −拒否はしなかったのですか。
 「拒否をすると、息子の着衣を貸してほしいと言われました。なぜ、自殺と言う書類が出来あがっているのに着衣が今頃必要なのですか。着衣を見るならこの場で見てくださいといい、警察官たちは、私の要求を一旦、了解してはくれたのですが、結局、息子の着衣の入った袋を持って、車で走り去ってしまいました」

 −警察官たちが持ち去った息子さんの着衣は、その後、遺族のもとに、返還されたのですか
 「はい、返してもらいました」

 −息子さんの治療にあたった医師からは、何か説明を受けましたか。
 「医師に『先生、殴られたキズと そうでないキズと見分けられませんか?』と訪ねると『警察がビルの3階から転落したと言っていますから』と、私の質問には、まともな答えがかえってきませんでした」

 −息子さんは12月28日にビルから転落し、治療の甲斐なく死亡されたのはいつですか。
 「息子は翌日の29日、息を引き取りました。死因は『病死』となっています」

 −死因が病死とは、死体検案書の死因の項に病死にチェックが入っているということですか。
 「死体検案書の文字を二重線で消し、死亡診断書となっていました。死因の種類は@病死及び自然死に丸印が入っていました。死因の原因は脳挫傷、頭部打撲です」

 −司法解剖はしなかったのですか。
 「司法解剖はされませんでした。警察の説明によると、司法解剖しなかったのは、『警察は24時間しか司法解剖する権利がない、息子さんは2時間オーバーして生きたから』と言われました」

 −通常、警察は死体検案時に、死体の写真を撮りますが、その写真を警察から見せてもらうことはできましたか。
 「警察は、死亡した息子をみていないし、写真を一枚も撮っていませんでした。私たち遺族が撮った息子の腫れた青アザや、血のついた顔写真を見せると、警察は『写真を撮っていないので、1枚くれませんか?』といわれました」

 −ご両親は、警察に息子さんの写真をあげたのですか。
 「いいえ。生きてる息子に死亡を認めさす警察を信用できませんでしたからあげませんでした」

 −治療にあたった医師には、その後、詳しい話を聞く機会はあったのですか。
 「3年半経ったころ、医師と話しをする機会がありました。もっとも、何度も面談をお願いして、一カ月かかって、やっと話しを聞くことができました」

 −医師と話をして、何か、新たな事実は分かりましたか。
 「3年半たって出てきた息子のレントゲンの名前は『A』となっていました。事件直後、レントゲンを見ながら『先生、この首の後ろから脊髄に向かって突き刺さった針はなんですか?』と質問したレントゲンがなかったので、『あのレントゲンはどこにあるのですか』と聞くと「そんな物は初めからありません、異議があるのなら正式な手続きをしてから来てください」との事でした」

 −事件直後の息子さんのレントゲンを再度、見せてもらえなかったのですか。
 「見せてもらえませんでした。でも、その時、医師は、今まで見せてくれなかったレントゲンを、たくさん出してきました。月日が過ぎても医師があのレントゲンを隠さなければならない理由を考えると、警察への度重なる不信が確実になって行くばかりで、体が固まって動けなくなってしまいました」

 −事件から7年経過した今、警察や医師に対する思いは、どのようなものでしょうか。
 「現場に立つ人の気持ち次第で、どんなに医学や捜査科学が進歩しても私達の所にまで届かず、真実が捻じ曲げられてしまうことがあるのだということも、わかりました」

 「息子は、歯型が残るほど くちびるを噛み締めていました。くちびるの状態から、息子がどんな恐怖や痛みに遭ったのかと思うと悲しみが募るばかりです。ですが、ただ、単に悲しいだけでは済まないことを、息子の死を通して出会った私たち遺族と同じ体験をした被害者から、学ばせていただきました。遺族の主張は、いつまでも訴え続ける必要があると思っています」【了】

■関連情報
『生きる』15歳で逝った息子のメッセージ
『生きる』ホームページ

下野新聞に掲載 2006.8.12
2006.5.16
 〜 18日
                                              
         「生命のメッセージ展」IN国会
Part2
          平成18年5月16日(火)〜18日(水・木)
          各日10:00〜17:00
           ※ただし、一般公開は16日のみとなっております
          16日: 憲政記念館 一階会議室
          17日、18日:衆議院第二議員会館

           http://www.inochi-message.com/~kokkai

和歌山からは 「いのち」の教育に力を入れている 和歌山市立松江小学校
和歌山市立鳴滝小学校の協力による 自分の身近に感じた「いのち」に
ついての作文や、教育指導要項に沿った授業の資料を展示し、多くの議員さん達に
見ていただきました。
2005.10.28 大阪市立片山中学校でジェントルハートの講演がありました。
いのちや、いじめ問題を考えるプロジェクトです。

小森香澄ちゃんを亡くされたお母さんが 細い体で香澄ちゃんが残した
「やさしい心が一番だよ」の言葉をやさしく 子供達を包むように伝えます。
青木悠君のお母さんは いつもは泣かないでお話をされるのに 今日は
悠君と同じ位の子供達の前だったから泣きながらお話をされていました。
私も康政が残した作文など少しですが話をさせていただきました。
750名の大阪で一番多い生徒さん達は体育館で2時間という長い時間
私語もすることなく シーンとして聞き入ってくださった姿、まなざしに感動しました。
感受性の高い今だから 知らせたい事があると痛感しました。
体の成長も心の成長も 一番大切な子供達に会えてよかった。
学校は綺麗に掃除され 会った生徒さんは必ず挨拶をしてくれ 校長先生は校長室の
窓を開けて子供達がいつでも入ったり挨拶する顔が見れるように心がけていらっしゃった。
大人でもなく、子供でもない 生徒さん達のお顔を見ていると 康政を思いだし やっぱり
涙や鼻水で言葉にならなかった。嬉しくて悲しい1日だった。
講演が終わって 3人で琵琶湖畔へ行き康政が行きたいと言っていた琵琶湖に康政の
ルアーを浮かべた。翌日の雨上がりのもやの中、静かな水面に浮かんだ水鳥などを見ていると
私達3人は 子供を亡くして知り合った仲 泣いたり笑ったり そのままの姿を 自然の中
に投げ出してきました。     
ライブドアPJニュース掲載(2005.8.29)                                               

「生きる」15歳で逝った息子のメッセージ
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1366690/detail

『生きる』15歳で逝った息子のメッセージ

【PJニュース 08月29日】− 1999年12月、和歌山市内の中学に通う15歳の野球少年丸谷康政くんは、ビルから転落し(病院に運ばれた後死亡)、警察に「ビルからの飛び降り自殺」と断定された。しかし、康政くんのご両親は、息子は「自殺なんかじゃない」と訴え続けておられる。記者は康政くんのご両親に、息子さんが死亡した直後の思い、息子さんが死亡された後に遺族として起こした行動、そして、現在の心境について取材した。

事件概要 
 今から6年前の1999年12月28日、和歌山市内の中学に通う15歳の野球少年丸谷康政くんが、自宅近くのビルから転落した。丸谷くんは、頭蓋骨骨折・脳挫傷という重傷を負い、救急車で近くの病院に搬送されたが、翌29日早朝、救命の甲斐なく、死亡した。管轄の警察は、丸谷くんの死を、「ビルからの飛び降り自殺」と断定した。

ご両親は、「自殺の動機がない」と主張
 丸谷くんのご両親は、康政くんに「自殺の動機がない」ことから、警察が「ビルからの飛び降り自殺」と断定したことに納得がいかず、2000年6月29日、警察に対して、「再捜査を求める要望書」を出した。2005年夏、警察は、丸谷くんご両親の再捜査の要望を、いまだに、受け入れてもらっていない状況だという。

 −息子さんは、どのような状況下で、ビルから転落されたのですか。
 「1999年12月28日の未明のことでした。ふと、私が目を覚ましますと隣の部屋で寝ているはずの息子がいないことに気付きました。トイレを見に行ってもいなかったので、私は急いで自転車に乗って、息子を探しに出ました。家のすぐ近くの曲がり角を右に振り向くと、パトカーの赤いランプが点滅していたので飛んでいきました」

 「目の前のビルの持ち主夫婦らの他に、6〜7名の群集と、警察官2人がビルの横の駐車場で人だかりをつくっていました。人だかりを見て私は『ここで何かあったんですか?』と尋ねましたが、その質問に誰も答えてはくれませんでした。私は仕方なく、息子を探しに町内を一周しましたが、どうしても、ビルの横の駐車場の人だかりが、気になったので、もう一度、パトカーのところへ戻りました。私は、『息子がいないんです。ここで何があったんですか』とひとりの警察官に尋ねたところ、『ここで男の人が倒れていたんです。今、病院に運ばれました。おたくの息子さんかどうか、わかりませんが、見に行きますか?靴は家にありましたか?』と尋ねられました。靴の質問に対して、私は、『さあ・・・』と答えました」

 −息子さんは、その夜、靴を履かずに、家から外に出て行かれたのですか。
 「靴は、履いて出ています。しかし、息子は裸足の状態でビルの横の駐車場で発見された為、警察官は、私に靴の確認をされたのでしょう」

 −息子さんが病院での手当ての甲斐なく、死亡された時のお気持ちはどのようなものでしたか。
 「死亡したという悲しみよりも、警察に、息子の死を『ビルからの飛び降り自殺』と速断されてしまったことに対する憤りのほうが、強かったです」

 −息子さんは自殺ではないというご両親の主張を、その後、どのような方法で、多くの人たちに知ってもらう努力をされたのですか。
 「知人の進言でマスコミへ取材依頼したり、県会議員を同行願った上での管轄の警察署への聞き取り、県警本部への要望書提出、生命のメッセージ展での紹介活動などです」

 −息子さんが亡くなられて6年の歳月が過ぎようとしていますが、現在のご両親の心境は、どのようなものですか。
 「康政を亡くして5年8ヶ月。この間、私たち夫婦は、さ迷うように犯罪被害者の人達が参加する集会に出かけました。康政の死があまりにも、悔しく、不憫だと思う気持ちを、犯罪被害者の方々に聞いてほしいとも思いました。集会では、いろいろな犯罪の被害に遭われた方から、いろいろな話を聞くことができました。集会に参加し続けているうちに、康政の死の真実を追究する目的は、犯人に対する刑量を極めるだけのことではなく、被害者遺族が悲しみから立ち上がる為には、今後、私共のような苦しみを持つ被害者が増えないためには、どのような行動を被害者遺族が起こせばいいのかを考えるようになりました。生命のメッセージ展に参加させていただき、康政からのメッセージを、多くの人たちに伝えることもいたしました。康政の伝えたかったことは、言うまでもなく、『生きたかった』というメッセージです」

 −最後に、康政くんとの思い出をお聞かせください。
 「康政は、小さいころから、スポーツが大好きでした。小学5年生から野球に興味を持ちはじめ、6年生のときには、甲子園に高校野球の観戦に連れて行ったことを、つい、昨日のことのように思い出すことがあります。息子は、夢を多く持つ少年でした。絶対に自殺などするはずはないのです。この世に生を授かっておりながら、15歳という若さで、不慮の死を遂げることになった康政のことを想うと不憫でなりません」【了】

パブリック・ジャーナリスト 渡辺 直子【兵庫県】
この記事に関するお問い合わせ先:public-journalism@livedoor.net


これからも 転落事件を殺人として捜査する事を 警察や多くの方々に認知して頂きたいと思っています。
殺人としての方法には使わないために。
2005.5月             
   

■「生命のメッセージ展」実行委員会編 『いのち・未来へ』のご紹介

 2005年5月、「生命のメッセージ展」に展示されているオブジェに貼られた写真とメッセージ文を編集し、「いのち・未来へ 理不尽に命を奪われた人たちからのメッセージ」と題した本が出版されました。

 本の中では、「生命のメッセージ展」に参加している家族らによるメッセージと写真110人分が紹介され、それぞれの被害者の人となり、これから叶えるはずだったたくさんの夢、事件・事故の概要、遺族の切ない思いなどがつづられています。
 また、最近開催の会場写真や詩も掲載されています。

 メッセージ展会場に来られない方、あるいは、被害者支援や司法関係者、命の教育に携わる方々も、メッセージに託した被害者家族の思いを感じ取ってください。次世代を担う多くの若者たちにも、決して押し付けではない、命の重さを伝えるメッセンジャー達からの言葉に触れてほしいと願っています。

 「いのち・未来へ」は、全国の書店、開催会場、でぜひお求めください。

ハート  ハート  ハート 

【本のタイトル】:「いのち・未来へ 理不尽に命を奪われた人たちからのメッセージ」

【編者】:「生命のメッセージ展」実行委員会
【定価】:1,400円(税込み1,470円)
【発行者】:(株)日本エディターズ
【ISBN】:4−930787−38−6 C0095
【版型・頁数】:四六判、232ページ
【ご質問・ご意見】:inochi-miraihe@inochi-message.com

ハート  ハート  ハート 

                丸谷康政はP178〜179に掲載されています。
2005.1月    犯罪被害者等基本法への要望書、及び 「鳥徳ビルに関する事件」の早期解明の要望を南野法務大臣に提出
2004.12月   から
2005.2月
法務省より、「生命のメッセージ展」IN和歌山での遺族の声を、矯正教育に役立てたいとの依頼を頂き、協力させて頂いた。
2004.12月 神奈川被害者支援センターにてハートメッセージ掲載

       いのちのメッセージ真実を求めて…届いてお母さんの声
                                 被害者・遺族の声  丸谷 るみ

『和歌山 丸谷康政 15歳 1999.12.29死亡』 15歳の息子 丸谷康政が死んでしまうという突然の恐怖と、いったい息子に何が起こったのか信じられない26時間のできごとでした。
風邪をひき隣の部屋に寝ていたはずの息子の姿が見えず、どうして部屋に居ないのだろうと心配しながら捜しに外へ出たのは夜中の3時でした。家からでてすぐ徒歩2分100mぐらいの所に、パトカーを見つけたのです。何かあったのかを聞いたのですが、警察官の返事がなかったので、その場を離れ再び息子を捜したのですが、どうしても気になりパトカーの所に戻りました。
すると今度は、警察官が「ここに男の人が倒れていました。息子さんかどうか分かりませんが病院へ行きますか?」と言われ、私はパトカーに乗り病院へ行ったのです。
 しばらく廊下で待っていると、呼吸器も点滴も付けないままベットに乗せられた息子が運ばれICUに入って行きました。驚きとともに、何があったのかわからぬまま、夫に連絡を取り医師の説明を受けました。
医師の説明では頭蓋骨骨折、脳挫傷というのに不思議と見た瞬間は、擦り傷ひとつありませんでした。でも、左目の青あざが痛々しく、顔もだいぶ腫れていたのです。
夫は「殴られてるやないか、めちゃめちゃや、先生、誰かに殴られたんと違いますか?」と質問したのですが、医師からは「最善の投薬をしてあります。患者さんは頭を打っているので動かさないように」と言われました。
付き添いで、よく看ますと後頭部に、二本の筋がありました。その跡形から私も、誰かに後ろ
から殴られたのではないかと疑問がわいたのです。
手足の骨折もなく警察の言うビルの3階(7m)から転落し駐車中の車にぶっかったものとは、どうしても思えませんでした。
 何があったのか分からぬまま、警察や病院、行政とのゴタゴタしたやり取りが続く中、ただひたすら助かってほしいと、祈ることしかできなかった私にできたことは、息子に話しかけることだけでした。
「康政、人間って不思議なものでね、生きようと思わなあかんよ。先生はどこでもいいから動いたら手術してくれるって。康政どこでもいいから動かして、お母さんに合図して!」と、何度も何度も声をかけ続けていると、息子の目から涙があふれました。
手も足も動かない体で、唯一息子ができる「合図」だったのでしょう。
 助かると思ったのもつかの間でした。母として何もしてやれないまま息子は亡くなりました。
 警察は自殺と断定しましたが、康政は志望校への推薦が決まり「大好きな野球が続けられる」と学校訪問したりして「グランドの砂もいいものやった」と喜んでいたのです。
12月27日午後2時から4時まで、いったい誰と会っていたのか、事故直前の現場では、何が
あったのかなど知りたいのです。必ず真実を知っている人がいるはずなのです。それを捜査と言う形で調べてほしいのです。
真実を追究する捜査は、単に罪の重さや軽さを見極めるためだけにあるのではなく、残さ
れた被害者家族が、とり残された人生を生きるためにも必要なことなのです。
 私は、子供を亡くした悲しみと同時に、真実を自分で探さなければなりませんでした。事故直後の警察での対応や捜査のあり方に疑問を抱き、自殺ではないという証拠を求めて、様々なできごとを一つ一つ確認しながら生活しています。それは今も続いています。
 亡くなった直後には、ビルの3階から転落したものなのかどうか、解剖をしてくれれば分かるだろうと思ったのですが、解剖はしてもらえませんでした。真実を知りたくても私どもには、捜査権もありませんし、まったくの素人です。専門知識もありませんので、警察に再捜査の要望書を提出したのですが、警察からの返事はありませんでした。
 警察に頼るしかないのに、証拠主義が重視され私どもの声が届かないのが現状です。
 警察があらゆる角度から捜査した結果であったとしても、被害者本人・家族・遺族と向き合う姿勢は、大変な状況であればあるほど真摯に取り組んでいただきたいと願っております。
 被害者遺族として、やりきれない想いを抱えながら生活している現実と、二度と同じ過ちを繰り返してほしくないとの願いをこめて2004年10月9日から10日までの2日間、多くの皆様のご理解やご支援により、和歌山の地元で、「生命のメッセージ展」を開催することができました
 また、開催に先立ち被害者家族は、何に苦しみ、どのような救済を求めているのか、理解していただきたくて、全国の遺族の方々にご協力していただき1年間を通じて毎週木曜日に「生命の手記」を地方紙に連載していただくことができました。その反響もあって、当日の会場では、テレビや新聞では分からなかった事が「この場に来て心の底に伝わる無言の魂の声が聞こえるようだ」との言葉を頂きました。
和歌山県において、今の被害者の現状を少しでも伝えることができたと思います。
被害者自身が声をあげていくことの大切さを肌で感じました。真実がどこにあるのか、見極め
るのは一人一人です。
 16年12月1日には、犯罪被害者等基本法が成立しました。やっとスタートラインに立てたのだと思います。
一人一人の力と、公の力が合わさらなければ、社会は決して変わらない。そう信じて活動していることを康政も見守っていると信じています。

丸谷康政のホームページ
http://www4.ocn.ne.jp/〜marutani/を
併せてみてください。
『最後の息子の涙を、心に留めて私は生きています。』


掲載写真1
故 丸谷康政
「康政、お母さん一番大好きな写真です。体は助けて
やれなかったけれど、心だけでも助けてやりたい。
ずっとお前の気持ち忘れへんからね。康政の笑顔は、
母さんの心の中に生きている。お前の遺した命のメッ
セージ、涙の意味を母さん忘れません。」

掲載写真2
「これから野球の試合に行ってきます」父「…将来康政
自転車やらへんか?」康政「自転車は腰が痛くなるから、
僕は野球をやる」と断言、逞しさを感じた朝でした。

掲載写真3
へこたれへんぞ!早朝練習も休まず続けた。
康政には、大好きな野球に関係する仕事にかかわりた
いとの目標があったのです。

   広報担当者 山田美和子様の編集後記
被害者が直面する現実と社会的問題、ニ次被害や支援体制の不十分さを問われた
今号の発行です。被害からの回復と支援の実際に、ネットワークの充実を切に願います。
犯罪被害の現状を正しく知っていただくことや、被害者がいつでもどこでも等しく必要
な支援を受けられるような活動を、センターも目指しています。被害者本人はもと
より、家族遺族は何年たっても心は癒えず、無理して頑張っている実態を一人でも
多くの方々に知っていただきたいと願いつつ取り組んでいます。
2004
10月9〜10日        

 
「生命のメッセージ展」IN和歌山開催
 全国の遺族と和歌山の多くの協力者のお陰で、開催
 2004.10.9〜10「生命のメッセージ展」IN和歌山を無事大成功に開催できたことを 心より感謝もうしあげます。会場では途切れることなく来場者があふれ一歩足を踏み入れると 無言で語る生命のメッセージを受け止めて頂き「続けて行かなければならないものである」と感想をいただきました。和歌山新報 和歌山放送 ニュース和歌山 毎日新
聞 読売新聞 朝日新聞 産経新聞 関西テレビ テレビ和歌山などご協力頂きました。学校長、教頭の来場は未来を生きる子供達にも「生命のメッセージ」が届くだろうと希望を頂きました。最後に私共の息子の事件を知りながら和歌山県、和歌山県教育委員会、和歌山市、和歌山市教育委員会の後援を頂けたことは 「人間として大切なものは何か」向
  き合う姿勢を見せていただけたことを心より感謝もうしあげます。
 ご来場してくださった皆様 応援してくださった皆様 ありがとうございました

「生命のメッセージ展」IN和歌山での遺族の声(わかやま新報1年間掲載された「生命の手記」)から
法務省の矯正教育に役立てたいと依頼を頂きました。
被害者の声を伝えたいと言う康政の思いが一つの形になったことを喜んでいます。
2003..4.26

長野被害者支援センターにて

 被害者支援に望むこと
  犯罪被害者支援ボランティア養成講座で被害者遺族の立場から被害者支援に望むことを お話させて頂きました。
     
私の息子は丸谷康政と言います。1999年12月29日に亡くなりました。
前日の28日午前3時 隣の部屋で寝ている息子が居ないので私は自転車に乗って息子を探しに家を飛び出すと100M位先に警察官が居たので聞くと「駐車場に男の人が倒れていて今 病院へ運ばれた」と言うので すぐに私は病院へかけつけました。

病院のローカで息子と確認し警察官に「ケンカですか 事故ですか?」と聞いても警察官は何も言ってくれません。
すぐに医師から「ビルの3階の窓の所にソックスの跡形があったそうで息子さんは そこから転落したと警察官が言っています。
頭蓋事骨折 脳挫傷で使える薬は全部使いましたが これ以上の治療はありません。」

突然の「死」の宣告に 私は息子に「康政 人間って 不思議なものでね生きようとおもわなあかんよ」「先生はどこでのいいから動いたら手術してくれるって お願いだから 手でも足でも まぶたでも どこでもいいからお母さんに 動かして合図して!」と何度も何度も いい続けると 息子の目から涙が あふれてきました。
  
その時 ICUに居る息子の所へ 消毒用エプロンもマスクも付けない黒いコートを着た警察官が入ってきました。
病院に入って間もないのに「調書ができました。ここに署名捺印しなさい」と言われましたが 主人は「今 息子が生きようと 必死に頑張って居る所です 後にしてくれませんか?とお願いしました。
しかし しばらくすると また全員警察手帳を持たない6人の警察官が「息子さんの着衣を貸してください」と言うので 主人は「さっき調書ができたと言ったのに どうして 今頃 着衣が必要なんですか?
見ても かまいませんが ここで見てください」と言って 警察官が「はい」と了解したのに 車に乗って持って行ってしまいました
 
午後になって 今度は私の所へ1人の警察官が息子の着衣を返しに来て「それでは 自殺と言う事で」と言うので 私は「まだ 誰も見てないし声も聞いてないのに そんな事 言わんといて下さい」と言いましたが警察官は帰って行ってしまいました。(私は必死で「ここに 貴方の名前書いて下さい」とこの警察官の名前だけは書いてもらいました)

息子の性格や日頃の行動 友達関係など 何ひとつ聞いてくれることもなく「死にたくない!」と必死に頑張っている息子に ただ一方的に自殺と決めつけていく威圧感 私は この時の警察の言動 行動を忘れる事ができません。
  「康政は死ぬ前に 警察の書類の上で 先に殺されてしもたわ」それが 私の感想です。
26時間 頑張った息子は目に青あざ 口に血を付けて死んでしまいました。

息子を亡くして しばらくして どうしても納得できない私は警察に行きました。
警察の書類には 息子を探しに 午前3時に家を出て すぐに警察官を見ているのに 警察への通報時間は3時22分になっていました。
窓のソックスの跡形は「やっぱり素足でした」に変わり「お父さんが言った言葉は お母さんが言った言葉に変わりました」

警察は「部下の失敗は 上司である私の責任です許してください」と言ったのに 悲しい事に 言ってもいない言葉が書かれ 救急隊の書類にも私は会ってもいない救急隊員との会話文が記載され 死因は病死、2度目は転倒転落に変わりました。
  
息子の左目の青アザや頭蓋骨骨折 脳挫傷というのに 息子の頭を髪の毛をかき分け 見ましたが すりきず1つありませんでした
手足の骨折もなく警察の言うビルの3階(7m)から転落したものとは思えないものでした。

司法解剖もしてもらえませんでした。
「どうして してくれなかったのですか?」と聞くと 「警察は24時間は権利がありますが お宅の息子さんは(26時間生きて)2時間オーバーして生きたからです」と説明されました。
  
まだまだ 沢山の納得の行かない疑問を 同志社総長の大谷先生に長い時間かけて聞いて頂きました。
先生は やさしく 深くうなずきながら 何時間も私の話を聞いてくれました。
そして たくさんの疑問と 再捜査要望書を和歌山警察本部に提出しましたがいまだに何の返答も説明もありません。

勿論 全ての警察官が この様な状態ではありませんが 少なくとも私は息子を亡くして 始めて被害にあった者が警察官の心無い捜査と権力で 真実を知る事ができないことを知りました。

警察官が私に「証拠を持って来てください そしたら探します」
私達はプロですよ」と おっしゃった言葉があります
私は警察の様な捜査権もありません。まったくの素人です。
専門知識もありません。だから警察の捜査に頼るしかないのです
ずさんな捜査からは 正しい事実認定が導かれるはずがありません
また、人間のする事です 再捜査が ほとんどない事のほうが おかしいのではないでしょうか?

私達は真実を知りたいのです。

親であれば 子供を授かった以上 健康で立派な人間に育ってほしいと願いながら 風邪をひいただの 宿題忘れただの 試合に勝った負けた」と子供と共に自分の人生を歩むものです。
  
その子供の突然の死は どうしてこうなってしまったのか?
その原因は 息子の命と引き換えなければならない位 重いものだったのだろうか?

それが どんなに残酷で 許せない事であっったとしても何があったのか知りたい!
真実を知る事で 自分自信 我が子の死を認めなければ いつまでも心が置き去りにされたまま 前に進む事ができないのです。

だから 真実を知る事は 被害者が残された人生を生きる為にはどうしても必要なことなのです。
  
単に罪の重い 軽いを見極めるだけのものではありません。

子供を亡くした私には 生きる力も無くしているのに悲しいだの 辛いだのに 関わらず この様な警察や司法の理解
できない対応や法律に直面し全てに対して不信感をつのらせていきました。

以前の私は警察は正義の見方 ちゃんと捜査してくれて当たり前!法律は私達に代わって ちゃんと裁いてくれるものと思っていました。恥かしい事とに 刑事裁判と民事裁判の違い  殺人と 傷害致死の違いも 知らなかった。
と言うより別に詳しく知る必要もない別世界の言葉だと思っていました。

人を殺しても 消しゴム1つ取っても 14歳以上の未成年者には少年法が適応され 人を殺しても「殺すつもりは なかった」と
言えば 逆送もされず 少年院に入っても 前科も付かない なんて事も知らなかった。

みなさんの様に 勉強されている方は 違いますが 多くの方は司法は偉い人が ちゃんとしてくれている
私には 関係の無い世界 もしそうなったら 弁護士に頼めばちゃんとしてくれると 思っています。

しかし、現実は違います。
法律は「公の秩序を守るもの」と書かれているように決して 被害者の為のものではありません。
  
余談ですが 最近になって やっと 刑事裁判の中にも 被害者を参加させてほしいという 署名活動がされています。

みなさん、事件でも 事故でも 多くの被害者の声を聞いてください。
裁判の傍聴をして 自分の耳で確かめてください
どこに 何に被害者が苦しんでいるのか 見てください。
  お願いします。

私は 子供を亡くした 遺族の感情論を「たて」にして
        重大な真実を 誤魔化されたくは ありません。
  
突然の事故や 事件で子供や大切な家族を亡くす事を一次被害といいますが 悲しい事に遺族にとって 被害はここで 終わるのではありません  始まるのです。
  
二次被害 三次被害には 私共のような警察に対しての不信や司法に対して 精神的な苦しみ 不安 絶望
また 報道によるものもあります。
そして それに対して 被害者支援がはじまりました。

でも まだ 突然 被害にあった者は 「被害者支援センター」があることも知らない人が多いと思います。
また 何でも 助けてくれると ワラおもすがる思いで来る人もいるはずです。被害者は支援ではなく 救済を求めているのですから 

言葉は適切ではありませんが 「自分の子供が焼かれてしまう」と言う 気持ち 想像できますか?
私には・・・荼毘に付す・・・と言う尊厳を持った 言葉で表現できる気持ちには とても なれませんでした。
「命をひきむしられ 人権を無視され 焼かれてしまった」と言う感じです。
多分 私は この時 自分の中の何かが 粉々に 砕け散ったように思います。
できることなら 私もいっしょに 焼いてほしいと どれだけ思ったことか見た目や 指で指す事も できないけれど 確かに自分の心が砕け散ってしまったように思います。

この様に 事故や事件によって 受ける傷は違いますし 同じ家族であっても 父の立場 母の立場 兄弟の立場 性格 年齢
それぞれの環境などによっても 違います。
具体的には 日常の買い物 子供の世話 また警察への付き添いなど誰一人として 決まった 支援という答えが あるわけではありませんがどうぞ 一人一人の被害者が 何に苦しんでいるのか じっくり 話を聞いてあげてください。
かけがえのない命を亡くした悲しみだけではない事が分かっていただけるはずです
  
共に考える 姿勢を持ってください。
被害者自信、自分が何をすべきか どうしたいのか自分のみちを 探せるように共に考える姿勢を見せてあげてください。

そして 逃れられない 苦しみを生きて行かなければならない長い一日 一日の過程を支えてあげてください。

これは母の立場で共通している所だと思いますが命日が近ずく一ヶ月前くらいから 季節や風景 風のにおいが敏感に
 あの日をよみがえらせます。
それから 息子の誕生日 クリスマス お正月 いつもの祭りごとが できなくなってしまいました。

同じ年頃の子を見つけては どこかに康政がいるんじゃないか?と探してしまいます。
いないと 分かっているのに 涙がボロボロ止まらない。
好きだった お菓子 好きだった歌 好きだった野球 全てが津波のように目に飛び込んできては子供のように泣いてしまいます。
もう、何も聞きたくない 見たくない 話したくない 体は石の様に動けなくなってしまいます。

「康政 恐かったね 痛かったね 苦しかったね 悔しいね お母さん ずっと お前の気持ち 忘れへんからね
体は 助けてやれなかったけど 心だけでも助けてやりたい。そして警察の人に 言いたくても 言えない人の言葉を
捜査という形で 真実を伝えてほしいね」そう言う思いで この3年4ヶ月 粉々に砕け散った心でも 生きてこれたのは やさしい思いやりで支えてくださった方々のおかげです。

確かに 法的な問題は たくさん残りますが 被害者の心を命を 支えられるのは まごころしか ありません。
  
どうぞ まごころを 伝えてください
時間をかけて ゆっくり静かに心に寄り添ってあげてください。

まとまりのない へたな話を聞いて下さって
どうも ありがとうございました。
 
長野へ来れた事 想像もしていなかった 皆様との出会いに 不思議な ご縁を感じます。

本当に ありがとうございました。
                   丸谷 康政の母より 

善光寺さんの7年に一度の前立御本尊様の お導き
                 H.15.4.26(土)晴れ


2003.11

「生命のメッセージ展」IN和歌山開催準備「生命の手記」(遺族の手記)が新聞”わかやま新報”で1年間
連載 「生命の手記」を点字にしたい、運送会社の社内新聞にも掲載したいとの依頼も頂きました。
2003.10 「生命のメッセージ展」IN滋賀で講演
また、そのスピーチは山口県のニュースでカットなしでテレビ放送されました。
2003.2.18 「生命のメッセージ展」IN国会に丸谷康政も参加しました。

「生命のメッセージ展in国会」を開くことができました。
お忙しい中、国会議員の先生方85名、議員秘書の方々70名、
それに中央官庁の職員の方々多数にご来場いただきました。
貴重な時間を割いて展示を見にいらしてくださったことに、
厚くお礼申し上げます。

お昼のセレモニーでは、
小泉首相、谷垣国家公安委員長、森山法務大臣をはじめ菅直人民主党代表など、
多くの先生方にご出席いただきました。
小泉首相には、展示されているオブジェや遺品の靴をご覧になっていただいた後、
「交通事故や犯罪で毎年一万人近くもの尊い命が奪われている今、
もう一度、『世界一安全な日本』をとりもどすために
政治家がやらなければならないことがある」という、
貴重なお言葉をいただきました。

じっくりとオブジェをご覧になりながら、
昨年10月に刺殺された石井紘基元民主党議員のことを何度も口にされていらした
羽田務元首相、DV(ドメスティックバイオレンス)や
少年犯罪の被害者の弁護活動について熱く語っていらした福島瑞穂議員、
目頭を抑えてマイクを向けられてもコメントすることも辞退された議員、
医療過誤問題や被災地の復興など、さまざまな取り組みをされている先生方が、
それぞれの感性でオブジェたちの発している無言のメッセージを
聞き取って下さったのではないかと確かな手ごたえを感じました。

犯罪被害者支援キャンペーン
    〜支援の輪を広げよう〜に参加します。

   H、14.9.28(午前10時〜午後5時)
        9.29(午前10時〜午後4時)
   場所 JR,東京駅・八重洲中央口イベントスペース
   主催 (社)被害者支援都民センター
   後援 東京都 警視庁
   協力 東海旅客鉄道株式会社  
   

2001.3.7 「アジャパーウエスト」(本)に丸谷康政の事件が掲載本が出ました。
   ”アジャパーWEST”3号
    大西 純 著
    地方小出版
     HPでは 素人の私達が書いた文章表現のしにくい所があり 解りにくいと言う アドバイスも頂いてい
    ました。
     しかし 今回 大西さんのおかげで 半年以上、何度も何度も 私共の話を聞いてくれ 読んで下さ
    る方に 詳しく解りやすく 文面にして頂き感謝しております。
    大変 あつかましい事ですが よろしかったら 本を読んで頂けたらと 思っております。
    8月25日でHPを開設して 一年になります。
    何の力もない私共ですが HPを訪れてくださる おかげで一日一日の励みとして 生きて来れた事
    を感謝申し上げます
     和歌山東警察の担当警察官に対して 私共のよう
    なHPを開設しなければならなかった事を悲しく思います。 
      
             
2000.10月   
少年法改正案要望書を少年犯罪被害当事者の会から国会へ提出                                 
2000.10月19日 ご前11時30分 保岡興治法務大臣にお会いできました。


・・・亡き息子 康政と私は朝一番の電車に乗って
   和歌山駅を出ました・・・・

今回「少年犯罪被害当事者の会」のお陰で法務大臣にお会い
することができました。
H11年12月29日 息子 康政を亡くした私共はまったく暗闇の中にいました。しかし世の中、温かい手を差し伸べて下さる方々と巡り会え 私達家族は何とか平常心を保つことができました。その中にこの「少年犯罪被害当事者の会」の方がいらっしゃいました。
息子 康政を亡くした私達を温かく受けとめてくださいました。
会の方々はそれぞれ事件については異なる問題がたくさんありますが、子供を亡くした親の無念さ 悲しみ 辛さを共に痛み分けし、また私達のような悲しみを1つでも癒し 防ぐ事が亡くなった大切な子供を生かす事であると信じ、立ち上がろうとしています。
私共はこの会に出会えた事に感謝しております。
会からH12年10月19日(木)午前11時30分
保岡興治法務大臣にお会いし 少年法改正にあたり被害者の意見書と声を聞いて頂く事ができました また個人の上申書も提出することができました。
これは息子、康政が亡くなった子供達の力を借りて私達家族を導いてくれていると実感しました。

提出した内容はこのホームページのコピーと手紙です。

 H12年6月29日に和歌山警察本部
         に疑問文を提出したが 今だに何の
         返答もないなど この様な警察の実態
         の捜査をお願いしました。

少年法改正案として 詳しくは「少年犯罪被害当事者の会」HP
をご覧下さい。

私個人では弁護士である 保岡法務大臣は少年犯罪被害当事者の会の意見書を理解されていることがわかりました。また自由党の西村慎悟議員や家西悟議員の少年法に対する関心の深さを知る事ができました。
意見書の中には常に「事実認定」がいかに必要で重要であるかが叫ばれています、正しい警察の
捜査があってこそ より正確な事実認定が導かれるのではないでしょうか
私は警察の正しい捜査をせつに希望し主張して行きたいです。



2000.6.29 大谷實先生(同志社総長先生)に私の持っている疑問を長い時間聞いていただいた文面を 和歌山警察本部に再捜査要望書として提出しました。多くの報道人が来てくれ、記者室で取材してくれました。
そこでは、書類を和歌山東署へ差し戻す事を聞かされました。

 


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