ホィットマンの研究


         

     "LEAVS GRASS"


        WALT WHITMAN`S POEM'S "LEAVES OF GRASS." 1 vo. l small quarto $2, for sale by SWAYNE,NO.210 Fulton st,Brooklyn,and by FOWLE & WELLS,
        NO, 208 N Y

        1855年7月6には詩集が書店に並べられていた。



         ホイットマンが生きていた時代は、アメリカ史上において、最も変化の大きい、しかも最も希望に満ち溢れた時期であった。いうまでもなく、
        その前半はアメリカにおける国民文学の誕生した時代であり、ボストン中心のいわゆるニューイングランド文学が花咲いた時代である。
         社会的発展からみると、ジャクソン大統領の政策の影響や、カリフォルニアにあける金鉱の発見とか、鉄道の敷設といった重要なモメントも
        ある。

         ホイットマンの思想のうちには、元来、東洋的な要素が指摘される。時間の問題に関しては、東洋医学における「永劫」の思想や「霊」の問題
        が彼の興味を引いていた。

         彼の師であるエスマンは、これを読んで、ホィットマンにあてて、7月21日に、
         the most extraordinary piece of wit and wisdom that America has yet contributedと称揚した書簡を送り、
         他日、その作者を訪問する旨を書き添えた。
         エマーソンはこの手紙を公にしたことに抗議した。
         
         LEAVS GRASS の序文からの印象は、ここにはエスマンににて論理的脈絡のない、強調的な主張の態度とか、自分の強制力の価値、過去の
        文化的な遺産を土台として、米国国民の精神を創造すること、また詩人が現実的経験を越えて、さらに永遠不滅な詩の美と理想を実現するとか
        あたかもシェリーの主張したところの詩人のもつ予言者的正確といった徳性を強調している。

         しかし、ホィットマンは彼の師エスマンの思想を踏襲するだけでなく、さらに進んで感覚を主とした感情を重んじ、感覚を主とした思索をこころみた
        のである。
         例えば、エスマンが単に「抽象的に自然は象徴である」という観念を主張しているのに対して、ホィットマンは(感覚的・有機的形体を用いた)
        具体的な描写によって、彼の思索を象徴化しているのである。

         ・エスマンとホィットマンを比べる

           エスマン    ー 自然=象徴 といった観念の描写である。

           ホィットマン  ー 感覚的・有機形体を用いた具体的な描写ある。
                       参)"Song of Myself"

      
           Emerson
          インド思想の影響の最たる例のひとつは、'The Over Soul'のうちに認められる。

          我々は連続したものや、断片、かけら、微粒子の中で生きている。
          それに対し、人間の内には全なる魂がある。それは智者の沈黙であり、この世界の美である。
          全なる魂故に、あらゆるかけらも粒子も、等しく永遠なる一者に関係している。そして、
          その内に我々が存在し、その無上の幸福がすべて我々の手に入るこの深淵なる力は、
          どんな時も自らを満たし完全であるだけでない。
           見ることと見られるものであること、見る者と見せ物、主体と客体がひとつであるのだ。
          我々はこの世界を部分部分で、太陽とか、月とか、動物とか、木とかいうようにしか見ない。
          だがそれらのものが一部として光り輝いている、全なるものが魂なのである。
                                 
 The Over-Soul from Essays: First Series (1841)

              自然とは言語であり、人が学び得るあらゆる新しい発見とは、新しい言葉なのである。
          しかしそれは、個々に分けられて辞書の中で生気を失った言語ではなく、
          一体として最も重要で普遍的な意味合いを伝えるものである。
           私はこの言語を学びたい。それは新しい文法を知ることではなく、
          その言語によって書かれた大いなる書物を読むことであるだろう。

                        Emerson, Ralph Waldo. 
Early Lectures 1833-36.
                       Stephen Whicher, ed.. Cambridge, Massachusetts, Harvard University Press, 1959.


             
            
              エマーソンは、古い書物や歴史を知らなくても、自然に親しく触れ自然と同化し感応すれば、
          熟練の農夫が天気を読むように、人は深い
神智に達し、創造の秘密を知ることができると説いた
                
講演者として生計を立てていたエマーソンは、
          聴衆に合わせて講演内容をある程度軌道修正する必要があった。
           そのため、彼の語る内容・才能は次第に常識的になっていき、
          「いわゆる自然賛美(Nature-writing)の文学になってしまった」、とも考えられている