生命の手記


     滋賀県大津市 母

悠ちゃん。
11月13日に、現場近くの高校の人権学習に招かれて、「命を大切に」のお話しをさせていただきました。
生徒の皆さんは真剣に聞いてくれ、涙を流してくれた人もいました。
たくさんの感想文も書いてくれました。

「生命のメッセージ展」IN滋賀を、琵琶湖沿いのピアザ淡海で10月に開催し、多くの方々が涙してくれました。
理不尽に命を奪われた悠ちゃん達のオブジェが命の大切さを訴えてくれました。

あれだけ前向きに生き、H11年8月に交通事故に遭って、半身不随になっても、「神様に生かされた」と壮絶なリハビリを乗り越え、歩けるようになりました。
大好きなおじいちゃんの佃煮業を継ぐため「身体が不自由になった分、大学を目指して、経営学を学び、京都工芸繊維大学を受ける。これから、学校休まず行って、死にもの狂いで勉強するから」と、笑顔で私に話し掛けたのが最後の言葉になりました。

少年法改正の前日、H13年3月31日土曜日のお昼に、『高校の合格祝いにカラオケおごってあげる』と15歳の加害者から携帯で呼び出され、悠は心優しいから、嫌な人でも、自分のためにお祝いしてくれると、笑顔で出かけたのです。
『障害者のくせに生意気』と17才と15才の少年が、計画的にだまし、小学校に呼び出して、自分の身体を支えることも出来ない、身体の不自由な無抵抗な悠を殴り続けて殺したのです。
見張り役の15才の3人も居ました、100%駄目の脳死状態にしました。

亡くなる前の日、1mmも動かせない状態なのに、「昼から個室に移します」と言われ、ICUは面会時間が決まっているから、一緒の時間をたくさん作ってあげようとの配慮でしたが、もう、ダメということでもありました。
看護婦さんに「悠ちゃんはお母さん思いのやさしい子やから、即死では、あまりにも、お母さんのショックが大きいから毎日、毎日、頑張ってお母さんを納得させてる」と言われた時は、胸にこたえました。
個室になったので、悠の耳元で、「悔しかったやろ、どんなに恐ろしかったやろ、お母さん助けられなくて、ごめん」と、いっぱい叫んでいたら、悠の目から涙がすーと流れました。
涙でしか訴えることのできなかった息子の張り裂けそうな怒り、悲しみが私を支えています。

初めて着た喪服が悠のお葬式でした。
あんなに毎日毎日、身体が元通りになるようにマッサージしていた手足がお骨で出てきました。
張り裂けそうな怒りや悲しみを加害者・加害者の保護者にわかってもらいたいです。

辛い、辛いリハビリを乗り越え、大学目指すため、昼間の高校を合格して、合格を4日間しか喜んでいません。「1からやり直そう」としていた矢先に、こんな惨い目に遭ったのです。
悠の夢も将来も何もかも奪って、あんなにお母さんの幸せを望んでいたのに、無念の死を遂げた悠の親として、「命を大切に」と言っていた悠の命が生かされるよう、これからも命の重みを伝えていきたいと思っています。




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