生命の手記



     大阪府 母


 裕介、会えなくなってもう6年が過ぎようとしています。生きていれば26歳になっていますね。思い出さない日はなく、何を見ても何を聞いても裕介の姿や声に聞こえて、まるで連想ゲームをしているようです。
 毎朝の通勤時間に小中高校に通う生徒を見かけます。ふと気付くとまるでそこに裕介がいるように思えて探しています。でも似た子はいても「裕介」、あなただけがいません。毎朝残酷な現実と向き合っています。
 1998年3月21日、あなたはお酒を飲んで運転した加害者に殺されてしまいました。加害者は苦しんでいる裕介を助けることもなくそのままにして逃げてしまいました。体からお酒がすっかり抜けた2日後に自首してきましたが、加害者はウソを言い続けて、もの言うことのできない裕介に「道路で寝ていた」と責任を負わせてきました。
 「明日は休み」と友だち3人と楽しく遊んでの帰り、裕介はお酒を飲んでいても歩いて帰っていました。あと100メートルで自宅という所でした。
 検察が出した加害者の不起訴処分を許すことが出来ず「不起訴不当」を勝ち取りましたが、いい加減な再捜査によって、略式起訴で罰金30万円の刑が確定しました。裕介の命がたった30万円、許せません。私たちは二重にも三重にも傷つきました。 「裕介が道路で寝るはずはない!」という信念で最高裁まで闘いました。加害者の供述を鵜呑みにした警察のずさんな捜査の結果、裁判では負けました。
 しかし、私達が行った事故の内容を明らかにするための実験や、遺体の鑑定結果で明らかになったことは、加害者は泥酔状態で運転し、歩道を歩いていた裕介が道路に倒れた所を片側のタイヤを歩道に乗り上げた状態でひいたということです。裕介の体格がよかったばかりに、胸板が厚かったばかりに、重量1000キログラムの車が胸から腹部を圧して、内臓破裂となったのです。裕介は緊急手術もかなわぬまま事故から6時間後に死んでしまいました。
 夢であってほしい。夢なら覚めてほしい。もう一度優しい声が聞きたい。かなわぬ思いを抱きながらふと気付くときょうも裕介に似た人を探しています。
 「裕介!弟の崇介はとても家族思いの青年に育ちました。裕介がいたら兄弟仲良く大人の会話ができたでしょうね。お父さんも頑張ってくれています。裕介が自慢していた家族は、今でも4人家族です。裕介の存在が大きすぎてぽっかり空いた心は埋めようもありませんが、いつか会える日を楽しみに、天国から裕介が心配しないように生きていくつもりです」。毎日、仏壇のはちきれそうな笑顔の写真に励まされています。



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