生命の手記


     神奈川県座間市 母

今でもよく思い出されるのが、生まれたばかりの息子に最初に乳をふくませた時の感触と幸せ感です。
慣れぬ育児に、ささいなことが不安になって、育児書に翻弄(ほんろう)されていた頼りない親でしたが、それでも若い夫婦にとって、息子の誕生は、この上ない喜びであり、21世紀に成人する息子に、限りない夢を託したものです。

それが19年後には、成人式を迎えることなく、逝ってしまうなんて・・・・・。
この世にこんな深い絶望があるとは、想像しませんでした。
逝ったのではなく、逝かされたというべきでしょう。
19歳と6ヶ月、ようやく人生の第一歩を踏み出そうとした時に、飲酒、無免許、無車検、スピード違反という悪質の極みのドライバーに命を奪われたのです。

息子が中学1年の時、夫は末期ガンに侵されました。
残りの時間を悔いなく過ごしたいという夫の希望で、自宅で闘病を選択しました。
いつか別れのその日が訪れることを恐れながらも、前向きに闘病する夫に私も息子も反対に励まされ、家族の絆を深めることが出来たようです。

そんな夫が力尽きて亡くなった時は、悲しかったけれど、精一杯生きた夫を、私も息子も誇らしくさえ思えました。
夫の分まで、息子と二人力強く生きていこうという決意につなげていたのです。
ただ息子も失ってしまうのでは、得体の知れない恐怖を消し去ることが出来ませんでしたが、息子だけは、なんとしても守り抜くという、悲壮感と決意で、夫の死を乗り越えられたと思います。

息子は「自由に生きろ」という父親の言葉通り、海外留学を体験するなど好奇心いっぱいの若者に成長しました。
あこがれの大学に合格したとき、
「今の俺はやりたいことばかりの好奇心のかたまりで、まだ何も手にしていない。これから一つひとつ手にしていって、俺という人間を生きたい!」
と話していました。
それから一ヶ月もせずに、彼の夢も希望も断ち切られたのです。

当時私は、息子の命を奪った加害者が憎い!
この手でひと思いに殺してやりたい!
そんなおぞましい感情を抱きながら、生きていました。
でもそれは辛かった。
さらに世間の野次馬的な関心、そして無関心、加害者の人権ばかりが尊重される矛盾にみちた法制度などに傷つけられもしました。

警察の遺体安置所で、息子の無惨な遺体を確認させられた時のショックが大きく、その後、一切息子を見ることも、触れることも出来ませんでした。
火葬場で半狂乱になって、その場から逃げ出そうとする私に、周囲の常識人間達は、「母親なら、母親らしく、最後まで立ち会わなくてはいけない!」と口々に責め立てました。
でも私は、息子を火葬のために送り出すことも、骨を拾うこともできませんでした。
本当に意気地のない母親です。

今でもそのことでずっと自分を責め続けていますが
息子の変わり果てた姿を見ていないことが、救いになっています。
彼は今旅に出ている、見えない、触れられないけれど、いつもそばにいると、思っています。
そんな切ない思いを抱けるのも、息子の死を認めさせられるすべてを、私は否定しているからかもしれません。

そして「生命のメッセージ展」で、等身大の人型となって、「命の大切さ」を伝えるために、新たな命を生きているという物語に、辛うじて、生きる意味を見出しているのです。
人間だけに与えられている「想像力」を駆使して、息子を生かし続け、未来に つなげていきたいと、絶望の中で、のた打ち回っている私です。





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