生命の手記

     滋賀県大津市 母

平成9年11月8日の出来事だった。
次女と犬の散歩にでた当時9歳の大知(たいち)が、横断歩道で前方不注視の2トンダンプカーに轢かれ、殺されたのは。
加害者は当時65歳。日雇いの仕事を終えての帰路だった。
彼は喘息と心臓病を患い、薬を常に持ち歩く体だった。

しかし、例え病気であっても、年老いた人であっても、体の弱い人であっても、ひとたびハンドルを握れば鉄の塊に守られた強者となる。
でも彼は凶器となる車に乗った、強者であることに気付いていなかった。加害者は自分の非を認めなかった。
突然命を断たれた息子の無念さや家族の苦しみも想像しなかった。
それでも次女は加害者のことをこう言った。「あのおじいさん、かわいそうやな」

一人の子供の命を奪った事実は消えないのに、その罪に加害者は向き合わない。罪を犯したという認識がないのだろう。
自分にとって不幸な出来事として記憶を消してしまうのだろう。
誰でも絶対に事故を起こさないとは言い切れない。だから間違いを防ぐために、学ぶ。
しかし、交通弱者からの視点がなければ、単に運転技術を身につけるだけの学習にならないだろうか。
そして行政も司法も、社会も、あまりにも加害者に対して同情的ではないだろうか。
自己中心の結果の事故であっても、加害者を保護し、軽い刑に処してその罪を忘れさせるのか。

大知へ。
大知のオブジェを作ったとき、こんなに背が高かったんだと改めて思ったよ。
大知は確かにこの世に存在していたんだね。
時々夢に見る。陽気で、いつもいきいきと楽しげに動きまわっている。生きていたころと同じように…。
あんなに生命力に溢れていた命が、こんなにも簡単に奪われるものだなんて、嘘のようだ。でも大知の笑顔はいつでも心に張り付いているよ。
その笑顔で、今は仲間の人たちと大切な仕事をしてくれている。
重い出来事から学んでもらえますように、二度とこんな悲しいことが起こらないようにと…。
和歌山へは初めての旅立ちだけれど、またたくさんの人たちに出会えるね。
人が大好きな大知、いっぱいおしゃべりしてきてや!




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