生命の手記

     北海道 父


 私の朝の日課は犬の散歩です。愛犬の名前はサム。長女千尋(ちひろ)が友人からもらい受け、名前をつけて可愛がっていました。その長女が9年前に交通犯罪の犠牲になり、遺されたサムの散歩は、朝は私、夕方は妻に代わりました。気持ちの良いはずの朝ですが、事件以来、すがすがしい気持ちで散歩をしたことはただの一度もありません。芽吹きの春を迎えても、草木は生命をつないでいるのに娘は何故と辛くなり、秋の高い空を見ても、娘は見られないと思うと切ないのです。
 時々「あの日」の娘との最期の会話が蘇り、涙が溢れます。「お父さん、寝坊 したのでサムの散歩お願い」。ぺこりと頭を下げた仕草が忘れられません。千尋は列車通学をしながらも早起きして自分の犬を散歩させていました。
 「あの日」(1995年10月25日)の夕方、当時高校2年生の千尋は、学校帰りの歩行中、前方不注視の運転者によって、わずか17歳でその命と未来の全てを暴力的に奪われました。
 センス良く着こなすスタイリストで、3週間後の修学旅行を前にして本当に楽しそうな、青春真っただ中での惨禍。世の親すべてがそうであるように、私たちにとって娘の存在は生き甲斐そのものでした。かけがえのない「宝」を「通り魔殺人」的に奪われた悲嘆は筆舌に尽くせません。
 加害者は、先を急ぎ時刻を確かめるためのカーラジオ操作によって、全く前を見ず、車を疾駆させました。この「未必の故意」による致死事件が執行猶予で裁かれる理不尽さ。仕事もありますから、周りを気遣い平静を装いますが、世をはかなみ、 娘の無念を思っては涙が溢れ、胸が張り裂けそうになるのは、今も変わりません。しかし、遺された私たちがいくら辛く苦しくても、何の落ち度もなく生命まで絶ち切られた当の娘の無念さには比べようもないと思い直します。娘からの「何故私がこんな目に遭わなくてはならなかったの?」「私の犠牲は今の社会で報われている?」という問いかけに、遺された親として答えなくてはと思うからです。
 「事故だから仕方ない」「加害者も大変」「賠償すればよい」という人命軽視、人権無視の麻痺した「クルマ優先社会」がその根底にあります。
 生命と安全が真に護(まも)られる交通犯罪のない社会にするため、心の中の娘とともにたたかい続けます。天国で娘と会う日まで・・・。




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