生命の手記



     岩手県 母


 “わたしはクリスマスがたのしみです。わたしはふゆがだいすきです。ふゆはたのしみがたくさんあります。またらいねんもたのしみがくるといいな。”
 娘が小学校で作っていた12月のカレンダーには、1年生らしい言葉と、サンタさんからプレゼントをもらっているうれしそうな姿が残っています。
 「涼香(りょうか)」。涼風のように心地よくたくさんの人を幸せで包んでほしい。そんな想いを寄せながら生まれてきた小さな娘を抱いて、わたしはとても幸せでした。 カッコウの声が響き、草木が香る5月の対面でした。それから7年、体育大好き、かけっこ得意の明るい娘に成長していき、できるまで頑張る芯の強さ、思いやりの深さは、出会う人に勇気と元気を与えてくれました。
 2000年11月28日、集団登校中の9人の列に飲酒運転の軽トラックが突っ込み、2人が死亡、6人が負傷する事故が静かな街で起きました。
 直撃を受けた1年生の娘は、6年生と4年生の2人の兄の目の前で体を少し震わせただけで、一言も発することはありませんでした。そして楽しみにしていた冬を迎えられぬまま、当たり前の願いも叶わぬまま、たった1人遠い夢の国へ逝ってしまったのです。
 加害者の運転していた車は、子どもたちから見れば自分より大きな鉄製の物体であり、それが一瞬にして目の前に現れ、猛然と接近して来るように見えた時の恐怖感は想像を絶するものだったと思います。
 「とっても怖かった。すごく痛かったよ」という声。そして「ずっとみんなと一緒にいたかったのに、どうして?」という娘の悲しみがわたしの頭の中に響いてきます。
 元気いっぱいの娘と、和歌山の地を訪れることができたら本当によかったと思います。でも、オブジェとして存在する今、事実と原因を少しでも多くの方に知っていただけたらと思っています。
 生命のメッセージ展には、温かい出会いがあります。それは勇気と元気を幾度となく私に与えてくれました。和歌山の皆さまとの出会いを、涼香とわたしの宝物にしたいと思っています。



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