生命の手記



     北海道札幌市 父

2001年6月15日午後2時1分、市立札幌総合病院の一室で、私が彼の首と手から脈を確かめるなか、あと10日と10時間で16歳に成るはずだった長男翔平は、たった1人のきょうだいである姉と母親と父である私の家族3人の、蘇生への祈りもむなしく、この世を去ることとなりました。

死因は側頭部強打による頭蓋骨骨折及ぴ脳挫傷。
見知らぬ加害者による突然の犯罪は、私達家族から、何よりも大切な、人生の宝、希望の光を奪い去ってしまいました。
相手を思いやる優しい性格と何事にも前向きに取り組む積極性から、家族・親戚や友人・教師達から輝かしい将来を期待されていた長男は、何も悪いことしていないのに、見知らぬ少年から誤解と邪推による暴力で、突然、その人生を絶たれたのです。

前日の放課後、高校の生徒会室で、40数日後の文化祭の準備作業をしていた翔平は、近くにいた友人の携帯電話を通じて見知らぬ少年に校門の外に呼び出されました。
「俺の女と寝たろう。ケジメをつけろ。タイマンはれ。」と無理やり決闘を求める相手に翔平は「何もしてない。喧嘩は嫌だ。」と断りましたが、加害者は、事実を確かめようともせず、しつこく決闘を求めました。
翔平が「生徒会の用事がある」と、その場での対応を断ると加害者は「後で漣絡する。」と翔平の携帯電話の番号を聞きだし、自分の番号は知らせずにその場は別れました。

この後の呼ぴ出しで、夜の公園の人目につかぬ一角で、加害少年は一方的に暴力を振るい、倒されて抵抗できない状態の翔平を引き起こして殴りつけました。
倒れた翔平は、頭部を公園の縁石にうちつけられ、意識を失い、鼾をかき出しました。
心配してついてきた翔平の友人の1人が救急庫を呼び、病院に運ばれましたが、助かりませんでした。
加害少年は、救急車が来ることを知ると、仲間の1人と衣服を取り替え、現場を立ち去りましたが、仲間の供述によりその夜のうちに逮捕され、翌日に検察庁に身柄付きで送検、十数日後に家庭裁判所に送られました。

家裁の裁判官に私たちは、検察庁に逆送することを求めました。
これは、謄写を許された事件記録は、警察や検察庁の捜査が不十分であり、加害者の嘘の供述を調べなおしてほしいこと、公判の場で加害者に真実の証言をさせ、それを傍聴する機会を、私たちを含めこの事件の真相を知りたいと願う全ての関係者に与えてほしかったからです。
逆送の願いは叶わず、加害少年は中等少年院送致となりました。
約20ヵ月後に退院となり、親元から自動車学校に通い、今では仕事についているとのことです。

本年1月、私たちは、加害少年とその両親及び加害少年に事件を引き起こすような誤解を与える電話をした加害少年の恋人とされる少女とその両親を訴える民事裁判を起こしました。
これは事件の真相を明らかにしてほしいからで、警察や検察、家庭裁判所が「真実を知りたい」という私共の願いを叶えてくれていたならば、あるいは加害者やその恋人が素直に真実を語ってくれたならば、起こす必要は無かったと考えます。物事を暴力で解決しようとする風潮を世の中が許さなくなるまで、私たちは闘わなければなりません。
暴力によって失われた命が帰ってこない以上、死者の名誉だけでも回復させてやりたいのです。


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