生命の手記


     群馬県 母



 あなただったらどうしますか?息子・正浩は、あれが警察官だったとは分かりませんでした・・・。01年11月8日午後9時、自転車で友人と走っていた正浩は、薄暗い路地で黒い車の屋根越しから、私服の警察官に「兄ちゃん、止まれ!」と、警察が言うところの職務質問をされました。
 正浩と友人は相手が警察とは思いもせず、恐くなって逃げ出しました。警察官は覆面パトカーでサイレンも鳴らさず赤色灯も点けずに約200メートル追跡し、幹線道路から30メートル手前で正浩の自転車の進路を塞がんとして自転車を追い抜くや、無謀にも対向車線に向けてハンドルを切り、道路に横向きに車を急停車。正浩は恐怖のあまり、警察官の方を振り向いたまま幹線道路に飛び出し、車にはねられ即死しました。
 県警は当初、「緊急車両登録をしていない捜査用車両であって覆面パトカーではない」と警察と一目りょう然で分かる普通の「パトカー」で追跡し正浩が「警察官」と承知して逃げたかのような印象を与える発表を行い、1カ月も経って覆面パトカー(緊急車両登録車)であったと認めました。
 事件の発端となった「兄ちゃん止まれ!」という言葉にも警察は一貫して「覚えていない」と主張したが、事件後8ヶ月も経った虚偽有印公文書作成・同行使の公判で、その警察官が認めました。
 警察官は正浩が目の前で車にはねられる瞬間を見ていたにもかかわらず、正浩を救助することもなく、その場から逃げ出しています。しかも、責任逃れをしようと虚偽の報告をし、目撃者が判明すると、目撃者が一瞬現場を離れていることに目をつけ、「自転車が無灯火であった」「警察官であることを告げた上、停止を求めた」「同人の進路を遮るべく車を止めたのは交差点の50mも手前であった」「エンストした後エンジンをかけ直そうとして、事故の瞬間は見ていないから事故に遭った男性が、追いかけた男性かどうかわからない」などと更に虚偽を重ねた報告をしていました。
 交通事故として処理しようとした警察官は、上申書の提出を受けて現場検証を実施しましたが、責任を免れようと事件を闇に葬らんとしたことは明白です。また、正浩がこのような声を掛けられ、覆面パトカーでこのような追跡をされなければならないほどの重大犯罪の容疑者でなかったことも明白です。
 私たちは、監察課に調査を強く求め、県警本部長に事故原因を明らかにするよう質問状を提出。国家賠償訴訟を提起するなど2年半以上、事件の真相究明を求め続けました。
 県警は、事件発生から3カ月後、調査報告とともに初めて謝罪しました。しかし、事故原因の真相については明らかにせず、国家賠償でも県警は「責任はない」との主張を続け、検察審査会の「不起訴不当」の議決を受けての再捜査も「不起訴」でした。
 検察庁の説明の「職務質問は相手の足を止めさせることが優先。『兄ちゃん止まれ』で止まらないのだからそれ以上止めようがない。追いかけながら警察だと言わなければいけないとまでは法律上言えない」という「言い訳」「こじ付け」「後付け」のつじつま合わせにはただ呆れる限りでした。
 依然、真相究明は捨て置かれたまま。大学卒業後は警察官になることを目指していた正浩が、警察の職務質問に逃げ出すことはあり得ないとの確信が私どもにはあります。警察だと分かることがひとつでもあったら恐怖に駆られて逃げ出すこともなかったし、逃げるのを間違いなく中止し、防げた事故、守れた生命だと思います。皮肉にも将来目指していた警察官による違法かつ不当な職務質問や追跡で、正浩の将来、人生が理不尽にも奪われてしまったのです。
 警察や検察は人命や人権、生命の尊厳よりも、組織の権威を守ることが最優先です。警察は捜査権を盾にストーリーを変えてまでも威信を守り、検察官はいったん下した不起訴処分を覆すことは捜査の誤りを認めたことになると、帳尻をあわせの詭弁を弄します。
 警察官に課せられた任務、責務は認識しています。しかし、安全や生命を守るべき警察による職務質問の初動の対応や行き過ぎた追跡が引き金で、人命が犠牲になるということは根絶できるように改善していただけることを切に願い、この憤まんやる方無い思いを声にしていきたいと思います。










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